埼玉県 62歳 環境NGO役員 大谷国夫
裁判員制度は改正して実施することを求む
裁判員制度は来年5月までに実施することになっている。私は定年後、どう生きていくかを考えて社会貢献が少しでもできるようにと環境NGO活動に参加することにした。大気測定は分析に専門的知識が必要だが私の参加したNGOは専門家と子ども、市民も一緒に活動している。学会というものに在職中参加したこともあるが専門家でなければチンプンカンプの報告が概して多かった。環境関係にも学会がある。そのいくつかの学会は普通の市民も参加している。報告する学者・研究者は市民が参加していることを意識してわかりやすく報告している。
私は裁判傍聴も体験している。あるとき判決を聞き取れない声、しかも早口でしゃべる裁判長に出会ったことがある。被告人に判決を理解させる気持ちがあるとは思えなかった。判決内容はあとで「読め」とでもいう感じだった。
私は今回の裁判員制度はおおいに期待している。被告人が納得できる裁判がやられると思うからだ。その期待はなんといっても普通の国民が裁判官と一緒に有罪・無罪の判断に参加することにある。起訴する検察官は公判で普通の人(裁判員)に理解できる証拠の提出をするとの報道もある。取り調べの可視化も世界の流れである。これが実現するとえん罪や無辜(むこ)の人が死刑にされることはなくなると思うからだ。
ところで今年1月から2月にかけて最高裁が裁判員制度について市民におこなった調査の結果報道があった。「参加の意向6割」という。最高裁はこれで市民の理解は「一定の水準に達した」と評価して実施に問題はないとする意向を固めたという。
裁判員制度に関心を持った私は法曹三者(最高裁・検察庁・日弁連)の裁判員制度についてのパンフレットも読んだ。そして三者がそろって触れていないあることに気づいた。その一つは罰則である。裁判員法には2年以下の懲役もしくは50万円以下の罰則がある。
罰則の趣旨は「評議」の内容を漏らさないためだ。守秘義務が必要であることは私も理解できるが、裁判員法の罰則は、国家公務員などにある守秘義務違反の罰則と比べ格段に重罰だ、期間に時効もない。
そして思う。裁判員制度について「参加の意向6割」の市民は裁判員法に盛り込まれているこの罰則を知っているのだろうかと。裁判員が被る負担を伏せたアンケートで「参加の意向6割」とするのは奸計すぎると思う。
また、「話すこと」「聞くこと」に重い罰則があることで、裁判員制度の裁判は報道はもとより法曹の学問的研究もできなくなる。裁判員制度は開かれた裁判、国民主体の裁判といいながら罰則は国民の知る権利を拒む装置として働き、司法の透明が現在よりも後退すると思う。実施是非の議論は国民が受ける負担もオープンにしてやるべきだ。
考えてみると、裁判員に選任されると勤め人であれば会社に休暇届けを出す。理由は「裁判員として出廷するため」となるだろう。周りの人間はその事実を知る。職場に戻ると「どうだった」とみんなから聞かれる。その時、しゃべってはいけないのだ。でも人は聞きたがる。1年たち、2年たって「もういいだろう、聞かせてくれよ」と飲む席でささやかれる。つい気を許して「実は」と話す。これで6カ月以下の懲役もしくは50万円以下の罰金になる。家族にも話してはいけないから夫婦の間で秘密を持つことになる。
怖いのは自分は絶対に漏らさないとがんばっても「漏らした」被疑者として取り調べを受けるおそれがあることだ。評議の内容を新聞や雑誌がすっぱ抜いた。たちまち守秘義務違反容疑が裁判に関係した人間に及ぶ。自分は漏らしていないから「してない」と言うと「否認」したことになる。そうするとどうなるだろう。家宅捜査がやられ代用監獄に延々と勾留され、長時間取り調べを受ける羽目になる。ウソの自白は、取調官に真実を言っても聞いてくれないため、一旦認め、出てから説明しよう。裁判官は絶対わかってくれると思って、やっていない自白をしたのがパターンだときく。裁判員になるとえん罪事件の主人公になるおそれが誰にも起こりえる。
もう一つの問題は死刑を多数決で決めることだ。日本の刑事裁判は、犯罪をやったかどうか「疑わしいときは被告人の利益に」が原則とされ、最高裁白鳥決定を経て鉄則となっている。事実認定で有罪に「反対」があることは証拠や自白に疑いをいだかせるからである。迷いが一つでもある時、多数決で死刑にすることは無辜の人を死刑にするおそれがある。
量刑を裁判員に求めることは「酷」と思う意見を持っているが別の機会にしたい。
先の法曹3者の広報は罰則と多数決で死刑にすることについて触れず、理解を求める努力が見えてこない。私は裁判員制度の罰則は懲役でなく禁固とし、守秘義務期間に時効をもうけ、死刑事件の判決は全員一致とする条項を設けるなど「法」の改正をして実施することを求める。
40歳代 男性
刑事裁判に関心があり暇を見つけて傍聴しています。平成20年4月15日のある地裁の公判にて異常事態が発生しましたのでお知らせします。
事件内容は暴力団員3人による模造拳銃を使用し被害者を脅したようです。
私が入廷した時に傍聴席の人が全員起立していたので裁判官が入廷したと思いましたが違っていました。なんと後で分かった事なんですが私以外の殆どの傍聴人は暴力団関係者だったのです。
3人の被告人が入廷すると暴力団関係者全員が口々に被告人に「オッス!オッス!」と発言しているのを書記官が注意せず傍観していました。
裁判官が人定質問の時に「御名前は?」と,法治国家の敵である暴力団員に敬語を使用しいる所を見て呆れました。
普段、拘置所の職員は退廷する時に裁判官に敬礼するのですがこの時は暴力団員に向かって敬礼をして退廷しました。
私は去年の夏頃から数多く傍聴していますが,こんな情けない公判を傍聴したのは初めてであり一人でも多くの人に知らせたくメールを出す気になりました。
30歳代 男性 沖縄県 医師
「犬になれなかった裁判官」を読んで
私は医師をしております。昨今の医療崩壊を助長する「訴訟」社会の到来にやや緊張のつよい毎日が続いています。
上記の本を読んでの感想ですが、日本の司法は最初から崩壊しているのではないかという、そういう印象を持ちました。
そもそも、第二次世界大戦後、日本の制度はその統治者、アメリカの都合からそのまま引き継がれました。結局、変わるべき時に変わるチャンスを失ってしまったと言えます。それは、司法に携わる人たちの内面についても言えると思います。無論、改革を叫んだ人は大勢いたはずだが。
先日、イラクの自衛隊派遣について、「画期的」判決が出されたと報道されました。時の政治家が喜ばない判決というものはおそらく正しい。しかし、たとえば靖国裁判で違憲判決をだした裁判官がいたり(自殺してしまったが)、イラク派遣、違憲の裁判官にしても退官し、おそらくその退官と引き替えるかのような判決、を知るとおそらく良心の狭間にたって勇気をもって義務を遂行することのできる人がいて、感動するとともに勇気をもらうことができました。
裁判員制度がはじまり、弁護士が増える方向ならば医療業界はより崩壊へ向かうでしょう。裁判官が増える方向なら医者は救われるかもしれない。しかし無論、医者の業界にも想像を絶する矛盾があるので、もっとも非難されるべき矛盾かもしれないが。検察官が増える方向になれば、言論の不自由が生じることになるでしょう。
この会の活動はできた当初から注目しております。これからも応援します。
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