● もうすぐあなたも裁判員に 裁判員制度をわかりやすく説明するコーナー その2
安原 浩(広島高裁岡山支部) 
3 なんでそんな制度が必要なの

これまでプロの裁判官に任せていた刑事裁判について,特に問題がないというのなら, いまさら一般市民を法壇に引っ張り出す必要はないのでないか,というのが多くの方の 率直な感想と思います。もっともな感想です。私も「これまでの裁判も良かったが裁判 員裁判でもっと良くなる」という公式的説明ではやや迫力不足と感じます。実はこれま での刑事裁判は供述調書が大量に使われている点で,分かりにくい,遅いという問題の ほかにえん罪事件発生のおそれがつきまとう点で大きな欠陥を持っているのです。捜査 官の作成した供述調書の信用性が裁判の一番の争点ということになれば,どうしても捜 査官の土俵の上での勝負ということになり,もっと広い視野から多角的に証拠を検討す ることがおろそかになってしまい,その結果,被告人の自白調書が詳細で十分信用でき ると思っていたら,後で別の真犯人が出てきたというような事件がたまに発生するので す。数年前に宇和島で発生した窃盗えん罪事件をご記憶でしょうか。もし,その事件が 死刑事件であったらとりかえしのつかない過誤になりかねませんが,実際に戦後,死刑 事件が確定した後確定裁判が誤っていたとして再審無罪となり死刑囚が生還した事件が 4件もあるのです。その原因として裁判官が誤った自白や鑑定を信用してしまったこと が大きかったといわれています。しかし他方で,現在の刑事裁判の99パーセントは自 白事件といって被告人が 犯罪事実を認めている事件で,その証拠の大半は信用できる 供述調書になっています。そうすると,そのような信用できる供述調書の洪水の中から, たまにあるかもしれない嘘の自白を見つけだすことは,プロの裁判官にはかえって難し くなるといえないでしょうか。

  裁判官の倍の人数の裁判員が加わることにより,供述調書を使わない証言中心の裁判 となり,また新鮮な感覚で証拠を見直す議論が活発になり,今までの刑事裁判の持つ欠 陥が大幅に改善されるのが裁判員制度ということになります。



4 法律がわからなくても大丈夫?

法律は,難しい,ややこしい,硬いという印象をお持ちと思います。たしかに法律の文章は分かりにくい言葉を使っていますし,その言葉の解釈については裁判例の積み重 ねがあって,それを知らないと正確な解釈ができないことになります。

  しかし新しい制度では裁判員の皆さんには,その点については一切負担をかけないよ うになっています。つまり法律解釈が問題となる場面はプロの裁判官に任せるというシ ステムです。

  裁判員はもっぱら事実認定と,量刑といって刑の重さを決める部分で活躍していただ くことになります。実際の裁判では,法律解釈が問題となる場面はそれほど多くはなく,たいていの事件は事実認定と量刑が争点となります。さてこの事実認定と量刑は素人裁判官にできるのでしょうか。

  大丈夫できます。私たちはすべて,社会生活上の知恵を大なり小なり無意識的に体得 しています。ある人の言っていることが信用できるか,どういう裏付けがあれば信用できるといえるか,こういう不正や犯罪は絶対許せない,あるいはこういうことで厳しく処罰するのは問題だと思うかどうかなどの感覚は,意識すると否とにかかわらず日常生活上いつも必要とされ,それぞれがそれなりに判断していることなのです。そのような誰でも持っている常識的感覚さえあれば,証言を聞き証拠物など見て,さらに他の裁判員や裁判官と議論していく中で,自然に,どういう事実があったのか,どういう刑が妥当なのかについて自分なりの意見が言えるようになります。諸外国で市民参加の刑事裁判制度(陪審・参審制度)が普及定着しているのはそのためです。実は我々プロの裁判官も同じように自分の経験的な見方をお互いに闘わせて議論をしているので,なにか特殊な専門的技法を駆使して結論を出しているわけではありません。量刑についても,過去の同種事例の判決を参考にしながら,それらとの比較検討を通じて刑を決めているのが普通です。

ですから,専門的知識がなければ裁判員になれないということはなく,いろいろな違う社会体験から生まれる新鮮な感覚と意見こそ期待されているのです。



5 裁判員になったらどうしよう?

約3年半後に実施される裁判員裁判の裁判員になることはまずないだろうとお考えの方も多いと思います。たしかに裁判員裁判の対象となる重罪事件は,最近の統計でも全国で年間約3000件程度ですから,必要裁判員数は約1万8000名となり,有権者数約1億人からみると,約1000人に2人なるかならないかの少ない確率です。

ところで,裁判員は選挙民のうち公務員や法律関係者などを除いた方からまず都道府県単位の選挙管理委員会が抽選で候補者名簿を作り,次にある地方裁判所で裁判員裁判の事件が起訴されると裁判所はその候補者名簿から約50人から100人もの候補者を抽選で呼び出し,裁判所でいろいろ質問して,事件関係者やその知人友人など公平な裁判が出来ないおそれのある人を除いていきます。一応そのおそれがないとして14人が選ばれた段階で質問は終了します。その後検察官と弁護人はそれぞれ4人,合計8人について理由を示さず裁判員から除く申請をすることが法律で認められています。裁判員として意欲のない人や予断がありそうな人を除くためです。そして残った6人が裁判員となります。ですから地域によって事件数や人口が違いますから一概にいえませんが,裁判員はともかく,候補者として呼び出される確率は10倍程度すなわち100人に2人程度はあることになります。これはあまり人ごととはいえない確率です。

 しかも,裁判員になると最低でも2日間ほど裁判所に通わなくてはなりませんし,候補者の場合は時間を作って裁判所に出かけたのに,選定されずに途中で帰されることも覚悟しなければなりませんから,なかなか大変です。さらに裁判員には評議の秘密を守る義務も課せられます。こういうことを聞くともういやだ,と感じる方も多いと思いますし,現に世論調査では裁判員制度は理解するが自分は裁判員になりたくないという意見が圧倒的多数です。

  ところが他方で,欧米で陪審員体験者に聞くと多数が経験して良かったとの感想を述べるとのことですし,日本でも検察官の不起訴処分の当否を検討する検察審査会の審査員(同じく有権者から無作為抽選で選出されています。)を経験された方も体験前の迷惑論から多くは好意的になり,検察審査会協力会などのOB会を作ってPR活動などを

 されています。この落差はなぜでしょうか。おそらく選挙の投票と同じで,多くの人にとってそれほど積極的にはなれないとしても,実際に投票すると主権者としてほんの一部にせよ,国政や地方政治の意思決定に参加したという充実感があるのと似て,日頃遠い存在として感じていた裁判とか正義,治安というようなことについて自らがその判断に参加して結論を出した時には,主権者としてのある種の誇りや充足感はあるのではないでしょうか。

  ともかく,日常生活に関係ないところに引っ張り出されるという意味で歓迎されざる役回りであることには変わりはありませんが,納税と同じでこの国を安全と安心を支える必要不可欠なシステムへの参加として一種の社会的貢献と考えていただきたいと思います。

 もし幸か不幸か裁判員に選出されたときは,前にも書きましたように,自分の社会体験から生まれる率直な意見を発表することが最も大切であることを肝に銘じていただければ幸いです。そこでは沈黙や追随は最悪です。

  このコーナーへ最後までおつきあいいただきありがとうございます。

  次回からは,裁判員制度についてなにかご質問がありましたら,その回答を掲載してみたいと思います。
(平成17年12月)