● ある疑問に対して(2)
安原 浩(広島高裁岡山支部) 
 本ホームページに50歳代の男性(東京都 会社員)から次のような疑問が寄せられました。

疑問

 法学部ではない大学や大学院を卒業し,上場企業(東証一部など)で部長・課長などをしている極々一般的で,所謂中流以上と思われる私の友人に「六法全書の六法全部言えるか?」と質したところ,90%以上の人が刑訴・民訴が含まれることを知らなかった。

 当然の事ながら,この人達は法律書を真剣に読んだことも無ければ,法律が相互に連携しあっていることも知らないし,法の下の平等とは,感情論ではなく定められた法を偏ることなく淡々と夫々の事例に当て嵌めるということも知らない。本当に,このような人達に人を裁くという「異常に重い仕事」を負担させてしまって良いのだろうか?

 私の周りには,一般的な人ではなく法律を学んだことがある友人・知人も居るが,「間違っている」あるいは「制度として発足させるべきではない」という意見が圧倒的である。法律を多少学んだことのある人間であれば,当然の感想だと思う。なんでも「アメリカの真似」をすれば良いというものではないだろうとも思う。「既に決まったことを今更」と言われるかも知れないが,「問題のある制度」を気がついた時点で取りやめる勇気も必要ではないだろうか?



安原から

 ごもっともな不安と思いますので,裁判員制度を推進したいと考えている裁判官の1人として私なりの回答を試みたいと考えます。

 さて実際の刑事裁判を担当してみて,一番悩むのは,検察官と弁護人の意見が対立する場面の事実認定をどうするか,有罪が間違いない場合にどの程度の刑にするのが良いか,の2点です。おそらく刑事裁判の9割以上の争点はこの2点のみといえます。残りのわずかな事件に法律解釈上の困難な問題が付随しております。ご指摘のように法律解釈論はそう簡単ではありませんから,法律解釈論については,裁判員制度でも裁判官が解決することになっています。裁判員の意見を聞くことも出来ますが,その意見に拘束されることはありませんので,これまでの刑事裁判より誤った法律判断がなされる可能性が高まるという心配は制度上全くありません。

 そして肝心の事実認定と量刑は,法律解釈問題とは全く異なる分野です。つまり,ある証拠や証人が信用できるかどうかについては,法律は何も決めておらず,裁判官も一般の人々と同じく,これまでの生活歴や社会生活上得た知識,あるいは感性で判断せざるを得ないのです。

 また,日本の刑法は,最低刑と最高刑の幅が非常に広く,その範囲内ならどのような刑も可能という柔軟な定め方をしているため,法律のあてはめでは何も回答が得られず,結局適切な刑をどう決めるかもこれまでの経験や判例を調べて悩みながら決めているのです。
 いずれも法学を学んだから解決する問題ではないといえないでしょうか。

もちろん,事実認定も量刑も,裁判官であることにより,多くの事例についての経験を有しているという点はありますが,重大なえん罪事件のように裁判官の証拠評価が誤っていたことが後日判明したことも少なくなく,また裁判官のした量刑が軽すぎる,重すぎるという批判もよく聞かれます。
経験豊富なプロの裁判官と法律には素人ながらいろいろな社会体験も持った6人の裁判員が複眼の目で,証拠を見,証人尋問を聞き,量刑を議論することで,さらに納得できる裁判が生まれると考えるのですがいかがでしょうか。
(平成18年4月)