● 70パーセント
伊東武是(神戸地裁姫路支部) 
 ある報道機関の世論調査によると,裁判員制度が始まっても,裁判員になりたくないという人の意見が70パーセントを超えたという。制度発足に深刻な影響を与えかねない数字であると解説していた。

 しかし,それほど心配な事柄であろうか。多くの市民は,悲惨な被害の出た事件で,被告人が必死で無罪を主張して争い,結論次第では死刑を宣告しなければならない,そんな事件をイメージしている。それを裁く仕事は,確かにしんどくて責任が重い。うっとうしい。できれば担当したくない,申し訳ないが他の方にやって貰いたい,そう考えるのは,ある意味では普通の市民として当然な感情ではないだろうか。陪審裁判が歴史的に根づいている欧米でも,世論調査の方法によっては,似たような数字がでるのではないだろうか。

 正直言って,裁判官だって,時にそれと似たような気分に陥ることもある。少なくとも私には,それがある。結論に至る過程でさんざん悩み,迷う。結論場面でまた幾度となくこみ上げてくるためらいと戦う。判決言渡しの法廷でも,心の片隅の「これでいいのか」との声を押し殺す。そんな感情は決して珍しくない。

 死刑判決のような重大な事件の場面ばかりではない。比較的小さな事件でも,たとえば,実刑にして直ちに刑務所に送るか,それとも執行猶予にしてしばらく被告人の更生態度を見守るかの判断の場面だって,結構悩むのである。日常は,そんな悩みが多い。

 事件と真剣に取り組む中で,なお押し寄せてくる迷いやためらいは,おそらく裁判官にとってむしろ大切なものというべきであろう。人の自由を,時には生命さえも奪いかねない,他方で,被害者らの必死のまなざしに答えることができるかどうか。こうした切実で重い課題に,どうして苦しみなくして取り組めようか。悩みそしてためらうべきなのである。

 70パーセントの数字は,多くの市民が,裁判というものをそれだけ責任の重い仕事であることを理解しているということである。わが市民が健全であることの証しというべきである。誰だって逃げたい,他の人に変わって貰いたい。

 ハワイ州の日系人のサブリナ判事から,ハワイでの陪審裁判の様子を聞く機会があった。ハワイでも,陪審員に選ばれることを嫌がる市民は少なくないという。しかし,いざ陪審員に選ばれると,みんな責任をもって熱心に取り組む。そして,評決を終えた後は,異口同音に「素晴らしい経験をさせて貰った」と感激の面持ちで帰途につくとのこと,そのお話が大変印象的だった。

 普通の市民6人が加わって,今まで以上によき裁判を実現しようという制度ができようとしている。重い責任を感じている健全な市民であるからこそ,その6人が職業裁判官と協力しあえば,きっとこれまで以上のよき裁判結果をもたらすに違いない。できれば代わって貰いたい気持ちを抱きながらでも結構,是非とも,裁判員になっていただき,「正義」の実現に協力をお願いしたいものである。


(平成17年7月)