裁判員制度に対する素朴な疑問です。
最近,山口県光市の母子殺人事件の最高裁判決があり,マスコミ等でも盛んに報道されておりました。
裁判員制度の対象になる事件は,殺人や強盗殺人など重大な犯罪が対象となっていますが,評議において問題となるのは,実は事実認定ではなく,量刑ではないでしょうか。
同種判例の量刑と検察官の求刑の7掛け,8掛けというような量刑相場がどうも一般の市民感覚とずれているように私には感じられます。実際,裁判員制度導入のためのアンケート調査では,裁判官の量刑感覚と市民の量刑感覚が随分とずれているということが明らかになったというような新聞記事もありました。
とすると,裁判員制度のもとでは,裁判員との評議の結果,死刑相当ということで死刑が宣告された事件で,被告人が量刑不当を理由に控訴した場合,控訴審では破棄・差し戻しあるいは破棄・自判というようなことが結構起こりうるのでしょうか。
その場合,一生懸命議論して結論を出した裁判員の方々は自分たちのやったことはなんだったのか,なんて虚しい気持ちにならないものでしょうか。
ましてや,高裁の判決が従来どおりの量刑相場を踏襲したものであったとすれば・・・・
私としては,被害者保護が重視されつつある昨今,裁判員制度は重大犯罪に対する重罰化を招くような気がしてなりません。それも,市民感覚を取り入れた刑事裁判ならやむを得ないことかも知れませんが,それを職業裁判官だけで構成する上級審が是正するとなると,結局,裁判員制度に対する不審を醸成することになりはしないでしょうか。
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