● 羅針盤(「峠の落し文」から)
安原 浩 (広島高裁岡山支部) 
 引き続き,元裁判官樋口和博氏の自費出版随筆集「峠の落し文」からの1編を著者の了解を得て紹介します。

(平成18年2月)

羅針盤

樋口和博
随筆「峠の落し文」から
 ある日のこと、達磨大師から六番目に当たる六祖慧能という方が寺の前に来ると、説教のため門前に立てられた旗を囲んで、二人の坊さんが盛んに問答を交わしている。
 一人の坊さんは、「風が動くから旗が動いているのだ」と言い、他の坊さんは、「いやそうじゃない、旗が動いているのだ」と言って、激しい議論を繰り返してとめどもない。そこで、坊さん達はそこを通り過ぎようとする六祖をつかまえて「あなたはどう思うか」とその意見を求めた。すると、彼は、「風動くにあらず、旗動くにあらず、二者の心が動く」と言って、さっさとそこを立ち去ったということである。

 今日はまさに激動する社会状勢だと言われている。まったくその通りかも知れない。けれども一体、世の中が激しく動いているのか、あるいは、この世の中に処してゆく我々の心が揺れ動いているのかを確かめてかからなくてはならないような気がする。

 わたしの尊敬する裁判官のNさんが、終戦後問もなく小笠原島に渡られた。その頃千トン足らずの小さな船で、太平洋の荒波を越えて二昼夜にわたる船旅は並み大抵のことではない。案の定、海は荒れに荒れて、船はぐらぐらと揺れ動き、乗客は打ち揃って船酔いをはじめた。ところが、よくよく見ると船の大きな動揺にも拘らず、船に備えつけた羅針盤だけは微動だにせず、正しい位置を保っていたが、しばらくすると、大きな異変が起こった。自分が長く揺れていることに馴れてくると、こんどは自分達の揺れていることがさっぱり解らなくなり、羅針盤の方が揺れ動いている錯覚にとらわれてしまったというのである。

 そこで、Nさんは述懐されて、「この頃の世相はちょうど太平洋の荒波に乗り出したこの船にも似ている。その中でわたし達は一緒になって揺れ動いているのである。ところが、自分達の揺れ動いていることを意識しているうちはいいが、そのうちにそれがわからなくなり、羅針盤の方が動いていると感ずるようになったら大変である。

 裁判所は微動だにしない羅針盤でなくてはならないし、国民もまたこれを動かぬ羅針盤たらしめなくてはならない」と。

 私はこの言葉に強い共感を覚えた。
(昭和四十四年六月)