● 医師と裁判官(「峠の落し文」から)
安原 浩 (広島高裁岡山支部) 
 引き続き,元裁判官樋口和博氏の自費出版随筆集「峠の落し文」からの1編を著者の了解を得て紹介します。

(平成17年12月)

医師と裁判官

樋口和博
随筆「峠の落し文」から
 私は信州伊那谷の人口三千足らずの小さい村に生まれた。そこには年老いたお医者さんがいた。専門が眼科ということであった。

 幼い頃から身体の弱い私は、何遍となくこの先生の往診治療を受けた。ひどく高い熱が出たとか、お腹が痛いとか言えば、すぐにとんできてくれる。おんぼろの自転車に往診道具一式を入れた黒いカバンをぶら下げていた。病人の部屋に入ると、先生はいつでもきまって、まず瞼を裏返して眼の検査をする。患者がお腹が痛いと言おうが、のどが痛いと言おうが、そんなことにはおかまいなしにまず眼を診る。それからおもむろに聴診器をあて、身体全部に触り、患者の訴えをきいて診断をくだし、病人やその家族と雑談をかわしたあと、別室で投薬の指図をし、一杯召し上がって帰るのが常であった。

 村の人達はこの赤ひげ先生の診断と治療を信頼して、多くの人達がこの先生の指図で病気が治ったり、またある者は寿命が尽きて死んでいった。今日のように、数多くの機械器具に取り囲まれた病院で、家に帰りたい、帰りたいと訴えながらも、それが果せずに死ぬということなどもなく、すべて自分の生まれた家で、家族の者に看とられながら死んでいった。そのときにはいつもこの先生が死期の近い病人の枕元で脈をとり臨終を告げ、家族の者といっしょに涙を流し、そしてその葬儀にも参列していた。身体の丈夫でない老先生は、この僻村の医療を自分の能力の限りを尽くして親切に処理し、患者達とは深い信頼関係で結ばれていたのである。

 医師はこの頃、きわめてせわしくなったようだ。一日数十人から百人以上の患者と接触することもあるという医師にとっては、ゆっくり患者の言い分をきく時間もないのであろう。二時間も三時間も待たされた揚句、たった二分か三分の診察で終わるような病院もある。ここでは患者の気持も十分聞いてくれないし、ろくに身体にも触って貰えない。また、医者の忙しそうな様子を見ていると、患者の方でも先生にきいて欲しいと思うことも言えず、中途半端な気持のまま薬をもらって病院をでる。どうにも納得のいかない患者は、別の医師の所に足を運ぶ。そこでゆっくり時間をかけてこちらの言い分もきき、身体にも触って診察して貰い、これではじめてお医者さんらしい先生にめぐり会ったことを喜び、その先生の指示通りの薬を飲んで、療養につとめることになる。

 私の友人A君は手術のため、ある大学病院に入院した。彼の話によると、手術が終わり、個室に移されて三日目位であろうか、「ただいまから院長回診があります。診察し易い態勢で準備しておいて下さい」という放送があると、看護婦さん達も急に張りきって、かけぶとんのしわをのばすやら、部屋の整頓をするやら、患者の衣類をととのえるやらで大忙しである。A君も、院長先生はどんなことを言ってどんな指示をしてくれるであろうかと期待していると、彼の主治医の先生をはじめ、数名の若い医師の卵のような人達をお伴につれて入って来た。主治医から、ドイツ語に、専門用語をまじえて、A君の病状の説明を聞いたり話したりしていて、裸にされたままの病人のA君の身体に一指も触れることもなく、また何一つの言葉をかけるでもなく、さっさと引き揚げて行ったという。A君は英独へ長期留学の経験もあり、その院長先生達の会話がよく聞きとれた。その会話の内容から、病人に日本語で聞きとられて困るような悪い病状でもないことが判った。A君は「院長先生達は、私が日本人であることを承知の上で、私の前でなぜ外国語でしゃべらなければならないのであろうか。院長さんは患者である私には見むきもせずに、私の前で臨床講義をしているように見える。私は単なる研究の対象物ではなく、生きている人間であり、病気に悩む入院患者である。それなのに、この病人の前でなぜ病人に聞こえるように、外国語で会話を取り交わす必要があるのだろうか。教室の講義やゼミでおやりになるなら別として、生命の不安におびえている患者にしてみれば、特に語学の判らない人達は、心配でたまらないと思う。私はかつてヒポクラテスという偉大な医学者が『病人は素人である。だから医師は病人にわかるような言葉で、本人が納得するような心づかいをすべきである」と書いている書物を読んだことがある。その大医学者の感銘すべき言葉さえ、理解しているとも思われない院長さんの態度を見て、何ともやり切れない不満を感じた。学者には学者の意見もあろう。しかし、日本人の患者はあくまでも日本人として、そして、さらには患者として、人間として扱って貰いたいと思った」と述懐していた。

 千葉大学学長の井出源四郎先生がある誌上対談で、ちか頃患者に手を触れようとしない若い医者が多くなってきたと言って嘆き、「患者にしてみればお医者さんと心の通じ合うものがほしいのに、患者の身体に触ってくれないことが多い。機械にあらわれたデータを頼りに診断する。それが確かに立派なデータであっても、患者も人間である以上、人間としての血の通う取り扱いをして貰わないと満足できない。患者は機械にあらわれた数字を見るために病院に来たのではない。病人である自分が人問として看て貰いたくて来たのである。それだけに若い医師に対しては、人間医療の精神を強く教え込むべきだ」と言っておられた。この雑誌をA君に見せたら、こんな立派な考えの先生もいるのか、これこそ私共が期待しているお医者さんの姿であると言って喜んでいた。

 この頃は医療の在り方も変わり、科学の進歩と共にいろいろな病原と治療方法が発見され、私共の寿命も画期的に長くなった。しかし、その反面、生命をあずけられている医者と、患者との問の信頼関係、心の触れ合いを持たないケースが多くなったように思われる。裁判官として約四十年、弁護士として十余年という長い間、法曹関係の仕事に従事してきた私は、医者が身体の病気の治療に当るように、裁判官や弁護士も、心に痛みと憂いを持つ人達に係りを持つ仕事であり、医者とまったく同じ立場におかれていると思うようになった。裁判の関係者からすると、裁判官や弁護士が自分たちの言いたいことに十分耳を傾けてくれたかどうか、心をこめてやってくれたかどうかということが、その裁判や弁護活動に対する信頼感につながることをつくづくと知らされた。

 裁判所もお医者さん同様に沢山の事件をかかえているだけに、事件の核心を離れた事項については、じっくりとその意見を聞く時間がないこともよく解る。そのために医者も裁判官も弁護士も皆十分に時間をかけて、その関係者と人間的接触をはかることが困難になってきた。それでも、一所懸命に患者の訴えるところを聞き、精一杯の力をつくしてくれた医師に対しては、たとえ好ましい結果が得られず、遂にその力の及ばないことがあったとしても、患者は満足してその医師の処置に感謝することが出来る。それはそのお医者さんが患者を人間として、また病む主体として取り扱ってくれたという満足感がそうさせることでもあろうし、また裁判官や弁護士についても、関係者の持つ関心は医師に対するとまったく同じく、その人達の身になってやってくれたかどうか、ということに深い関心があると思われる。

 かつて、丹下キヨ子さんが或る雑誌や新聞紙上で、自分の関与した裁判について、事件担当の裁判官に対する不満をぶちまけていたことがあった。その審理の真相はよく解らないけれども、同氏は自分の言いたいことをじっくりと聞いてくれようとしない裁判官の態度に対する不満を、勇気を振るってぶちまけたもののようであった。私も弁護士となり、数多くの事件審理に関与していると、法廷の調べを済ませて出て来た関係者が、法廷の廊下や控え室で、自分が法廷の場で、一人の人間として温かい扱いを受けなかったことに対する不満など、裁判所の訴訟のやりかたについての憤りをぶちまけているのを聞くことが多かった。それにつけても、自分の裁判官時代に、果たしてこれらの関係者の心を満足させるような立派な審理が出来たかどうかと、厳しく自己反省をさせられることが多い。

 今日、多くの医療過誤の問題などが裁判所に起こされたり、裁判官や弁護士に対する不満の声が続出するようになったのも、当事者間における相互不信ということが一つの大きな原因となっていることについて、お互いにもっと反省してみる必要があるように思われてならない。
(昭和六十一年十二月)