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叱られる権利 |
樋口和博
随筆「峠の落し文」から
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師走の街を歩いていた。行き交う人達からあわただしさが伝わるたそがれどきである。私の後ろから、突然一台の自転車がベルも鳴らさずに肩すれすれに走り抜け、すぐ前を歩いている老婦人を突き飛ばすと同時に自転車も横に傾いて止まった。中学生らしい、身体の大きなその自転車の少年は、起き上がろうとしている老婦人に向かい大声で、「何をぼやぼやしてるんだ、危ねえじゃねえか、気をつけろ、ばかやろう」と捨てぜりふを残して立ち去ろうとした。
私はその少年の乱暴な言葉づかい、ことに「ばかやろう」という聞き捨てならぬ言葉に我慢がならず、急いで走って行き、少年の自転車のハンドルをつかまえた。「ベルを鳴らさずに歩道を突っ走って人を倒しながら謝りもせず、ばかやろうとは何事だ。このお婆さんに謝りたまえ。君が謝らない限り絶対にこの自転車のハンドルを放さないぞ」と言って少年をにらみつけた。彼は黙ったまましばらく私の顔を見ていたが、そのうちに自分の過ちを悟ったのか、老婦人に近づき「お婆さん、どうもすみませんでした」と丁寧に頭を下げて自転車に戻ってきた。聞いてみると彼は中学三年生であり、塾通いの途中であること、両親は共稼ぎで一人っ子であることなど、色々とその身の上話をしてくれた。道路の上では長く立話もできないので、「これからは気をつけて走ってくれよ。それから、おとしよりを大事にしてやってくれよね」と言うと、彼は明るい顔で「うん」と言った。私が黙ってその子の手を握ると、思いがけなく私から手をさし出された驚きと、悦びの交錯するような顔つきで私の手を握り返した。そして「どうもすみませんでした。これからは気をつけます」と言って自転車を走らせて行った。彼の態度や言葉づかいなどからして、その顔には、自分の行動に対する反省の態度を読みとることが出来た。あんなに乱暴な無法者とも見えた少年も実は純情な可愛らしい少年だったのである。
ところが、その歩道のすぐ前には八百屋さんがあり、屈強な中年の男が腕組みをして立っていた。そして事の成り行きを終始見ていながら、私達に手助けしようともしなかったのに、少年が立ち去ったあとで、「どうもこの頃の子供は始末におえませんな、困ったもんですね」と話しかけて来た。私はこの中年の傍観者の態度に憤りさえ覚え、彼の言葉には返事もせず、幸いにして怪我もなかった老婦人をいたわりながらそこを立ち去った。
私がかつて、家庭裁判所で少年事件の審理に関与していたとき、そこに出てくる多くの少年諸君に共通するものに、彼らが幼い頃から甘やかされ、放任されて育ち、他人に迷惑をかけてはならないという基本的な躾を受けていないと思われるケースが多かった。
事情があって幼少時から母親一人の手で甘やかされて育ったある少年が、再三の犯罪を繰り返した揚句、審判により特別少年院送致の決定を受けるにさいして、その少年の言い残した言葉がいつまでも私の頭にこびりついていて離れない。それは、「この俺をこんな人間にしたのは、お袋や学校が悪いんだ。俺が小さいときから悪いことを繰り返しても、お袋は厳しく叱ってくれなかったし、学校の先生達は俺に不良という札を貼ってほったらかすだけで、親身になって叱ってくれたこともなかった、その頃にもっと厳しく叱られていたら、こんな人間にはならなかった。俺はお袋と学校の先生達を怨む」と言って泣いていた。
彼の言い分はまことに身勝手な、自己中心的なものであり、自分の行動を正当化する理由にならないことは勿論である。だが私達は彼のこの言葉を一人の少年のたわごととして一笑に付して済ませられるものであろうか。彼のこのような身勝手な言葉の中にも、我々すべての大人達が、この頃、われわれの身近に起る、目に余るような少年達の不躾けな行動に対して、八百屋の前の中年男のように、他人事として見て見ぬふりをしてきたことについて、大いに反省を求められているものがあるかもしれない。このような大人の傍観者的態度が、数多くの少年非行の原因の一つになっていることも見逃がすことができない。そして、この時代においてこそ、かつて賀川豊彦先生が、「子供達には叱られる権利がある」と言われた言葉の持つ意味をもう一度、深く考え直すべきであろう。
このたびの自転車暴走少年のように、およそ日常生活における社会的ルールの大事なことを、誰からも厳しく躾けられずに育ってきたであろう、この一少年が、見知らぬ老人の厳しいいましめの言葉に、何かを感じとったのであろうか、素直に詫びて立ち去ったその少年の、別れの言葉に何となく温かいものと感じ取ったことである。 |
昭和六十年一月「法曹同志会誌」 |
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