引き続き、元裁判官樋口和博氏の自費出版随筆集「峠の落し文」からの1編を著者の了解を得て紹介します。(平成17年5月)
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いのちの尊さ |
樋口和博
随筆「峠の落し文」から
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「私達は誰でもが死刑囚とまつたく同じ身の上にあるのに、それを考えることが恐ろしいばっかりに、そのことを忘れようとして、平素は死から目をそむけて生きているに過ぎない」とパスカルは言う。この言葉は、田辺元先生のメメント・モリ(死を忘れるな)の警句とともに痛く私達の胸を刺す。
「目的を喪失し、豊かさに馴れた飽食の時代」と呼ばれている今日この頃、私達の周囲には、「いじめ」「体罰」「自殺」「殺人」「死刑」というような痛ましい言葉や文字が氾濫する荒涼たる世相である。
東京大手町のビルの谷間の池で育ったカルガモの毎親が、可愛い子ガモ達を連れて、交通量の激しい内堀通りを横切るところを、仕事に忙しい運転手さん達が自動車をとめて、そっと見守ってやりながら、お濠へ移動する姿がテレビに映し出されて、強い感動を受けた。毎日のように、こんなほほえましいニュースが見られたら、人問の心もどんなになごむことだろうと話し合ったばかりなのに、その直後、何かの理由でそのうちの何羽かの子ガモがあえなく死んだという。喜びと悲しみ、生と死は背中合わせのように、いつでもどこでも起こるのである。何とも無常の限りではある。
私は裁判所に勤務中、数多くの死刑判決に関与し、その都度、その量刑に苦悩したことから、死刑、無期の量刑に関する研究を思い立ち、そのために全国各地の拘置所を廻り、死刑囚の監護に当たっている刑務所の人達を通じ、死刑囚の日常生活、特にその心理的な動きなどいろいろ調査したことがある。その多くの人達の経験談を聞いていると、その係官は裁判官の判決時の苦悩などと較べものにならないような、やり切れない気持で、刑死を待つ人達に接していることを知った。
死刑確定囚が、日曜祭日を除く毎朝のこと、廊下を通る看守の靴音が近づいてくると、それが自分の部屋の前で止り、「お迎えがきました」と言われるのではないかと、息をひそめて聞いている心境はただごとならぬものがある。こんな残酷なことがあろうかと、しんみりと語ってくれた。また数多くの死刑執行に立ち合った経験を持つ元大阪拘置所所長玉井策郎氏の著書「死と壁」の中で、同氏が、死刑囚の確定から執行に至るまでの心の動揺、被害者に対する悔悟追悼の情、与えられた環境から体得した強い信仰心等々に言及し、「法が人を裁くと言っても、しょせんは人が人を裁いている。その裁きの中に人の生命を抹殺するような死刑の条文のあることについて、私達はもう一度真剣に考えてみる必要があるのではないか」と述べていた。現場で死刑囚に接した者の切実な苦悩を語った言葉であろう。
地方の裁判所に勤務していたときのこと、人間味の豊かなK裁判長がおられた。捨て猫が藪の中でなき叫ぶ声を聞くと、居ても立ってもおられず、夜半の雨の中でも家を飛び出してその猫を助けて連れてくる。そのことが近所に知れわたると、わざわざKさん宅の庭の中に仔猫を捨てに来る人が多くなった。それで家の中は猫だらけになり、その去勢や皮膚病の治療もしてやらねばならず、何かと大変なことであったが、それでもかわいそうな捨て猫を放置出来ない、と苦笑しておられた。
ところが或る日のこと、私共が出勤するとKさんはいつもはラフなスタイルで恬淡としておられるのに、その日は黒っぽいネクタイと地味な服装で悄然として入って来られた。当日は或る強盗殺人事件の判決言渡し日であった。入廷した裁判長は、被告人に対し判決の理由を朗読したうえ死刑判決を言渡した。そのあとで静かに、「どのようにかして、あなたを助けたいと思い、いろいろ調べてきたがそれが出来ず、死刑の判決をすることになった。まだ控訴院(高裁)も大審院(最高裁)もあるからそこでよくよく調べを受けて、助けてもらえるものなら助けてもらいなさい」とやさしく諭して席を立とうとすると、被告人が、「裁判長、私はもうこれで満足です。こんなに親切に調べて頂いたので控訴などする気はまったくありません。ほんとうにありがとうございました」と言って涙を拭いた。
「人の生命は地球よりも重い」と言われてから既に久しい。殺された被害者の生命の重さは勿論のことであるが、殺した加害者の生命もまた同様な重さを持つ。被害者の側から考えれば感情として、その加害者に対しては、これをどんなに憎んでも憎み切れない程の激しい憤りが残ることであろう。自分の身内の者を殺された遺族の方々は、被告人の死刑判決をきいたとき、涙を流しながらもほっとした様子で、「これであれも成仏出来ます」と言うのがほとんどの場合であり、それがやり切れない怒りを押えるせめてもの慰めでもあろう。
前非を悔い、被害者の戒名を書いた位牌の前に朝な夕なにお詫びを告けて、その供養につとめ、贖罪の厳しい反省生活の中で、死刑の執行を受ける被告人であっても、遺族の人達は、断じてこれを許すことが出来ない。彼が処刑されることによって、被害者が成仏出来ると考えなければならないところに、理屈では決して解決出来ない被害感情の厳しさがあり、人間の悲しさがある。被告人が処刑されても、愛する被害者は生き返つてこないことが解つていても、この悲しみと、憎しみのやり場のないのが被害者の感情であろうし、大方の世論もまた被害者のこの感情に同調するのも、今日においては極めて自然のことであろう。
ところが、私がかって審理したある死刑事件で、何の理由差く行きずりの強盗に妻と娘を殺されて悲嘆にくれている夫のA氏が証人として証言台に立ち、被告人に対する現在の被害感情を聞かれたのに対し、「私はこの男が憎らしくてたまらない。八ツ裂きにしても心が収まらない心境です。妻や子の無念さを思い毎日眠られない夜を過ごして来ました。けれども、考えてみれば、この男を死刑にしても我が子、我が妻は生きて戻ってはくれません。この男にも病身の母親があり、妻子があると聞いています。それらの罪のない人達が、これから先の生涯を、死刑囚の母として、妻として、子として世間を隠れるように身をせばめて生きてゆかなくてはならないであろう事を考えると、私の心は動揺して複雑な気持で一杯です」と答えて涙を流していた。
また先年、強盗にその妻と娘を殺された東京のI弁護士さんは、事件直後の記者会見で、「私は今、被害者の立場におかれているが、死刑制度は絶対にあってはならないと考えている。犯人が反省して私に弁護を頼んできたら私はこれを引き受けてもいい」とおっしゃっておられた。I先生はそれから後も死刑廃止論者として一生涯を貫き通されたことも聞いている。先程のA証人や、I先生のように、被害者としての耐えられない悲しみを乗り越える冷静な気持が、被害者の遺族に共通する感情となり、社会一般の感情もまたこれらの人達と同じような心情になれたなら、死刑制度に対する世論の動向も変わり、世界の先進国の大部分が死刑制度を廃止しているように、我が国でも死刑制度に関する論議が活発になされることであろう。そして、その論議の中から、死刑制度の是非を考える声が、今日のように遠慮がちな細々とした声でなく、世論に訴える大きな声となつて湧き立つて来るであろうことを期待してやまないものである。
(昭和六十年十月) |
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