● 法の厳しさ(「峠の落し文」から)
安原 浩 (広島高裁岡山市支部) 
  引き続き、元裁判官樋口和博氏の自費出版随筆集「峠の落し文」からの1編を著者の了解を得て紹介します。(平成17年3月)

法の厳しさ

樋口和博
随筆「峠の落し文」から
 「獄窓の歌人」と呼ばれていた島秋人さんが処刑された。昭和四十二年十一月である。

 彼は昭和九年に生まれ、その幼少時を満州で過ごし、戦後引き揚げてからは病弱と貧困のどん底の中で育てられ、疲労のつもった母に死別してまったくの孤独となり、周囲の人達からさげすまれ、学校では劣等児として差別待遇を受け、級友からいじめられるなどして次第に不良化し、少年院に入ったり、いろいろな犯罪を繰り返したりした末、昭和三十四年郷里に近いN県のO市で強盗殺人を犯して検挙され、昭和三十七年六月に死刑判決が確定していたものであった。

 彼には、これまで何一つ楽しい想い出もなかったが、中学生の頃に唯一度だけほめてもらったことのある図画の先生のことがなつかしく思い出され、獄中からその先生に手紙を出したところ、その奥さんのK子さんも学校の先生であり、短歌をやる人で、短歌を通じて文通がはじまり、爾來八年間、師弟の美しい交渉がつづいたのであった。

  わが死にてつぐない得るや被害者の
  みたまに詫びぬ確定の日に

これは彼の死刑判決確定の日の歌である。そして死刑執行の予害を受けた執行前夜には、

  土ちかき部屋に移され処刑待つ
  ひととき温(ぬく)きいのち愛しむ

  この澄めるこころ在るとは識らず来て
  刑死の明日に迫る夜温(ぬく)し

の歌を作り、「人間として極めて愚かな一生が、明日の朝にはお詫びとして終わるので、もの悲しい筈なのに、夜気が温かいと感じ得る心となっていてうれしいと思う。死刑判決確定後五年間の生かされて得た生命を感謝し、安らかに明日に迫った処刑を受けたい心です。僕が生かされて得た心でしみじみ思うことは、人の心の暖かさに触れて素直に知った生命の尊さです」と処刑を受ける心境を語っている。そして彼に初めて歌心を与えてくれたK子さんに宛てた手紙の中で、「教師はすべての生徒を平等に愛して欲しいものです。一人だけを暖かくしても、一人だけを冷たくしてもこまります。目立たない少年少女も等しく愛される権利があります。むしろ目立った成績の優れた生徒よりも、目立たなくて覚えていなかったような生徒の中にこそ、いつまでも教えられたことの優しさを忘れないでいる者が多いと思います。忘れられていた子供の心の中には、一つだけでもほめられたというそのことが一生涯繰り返して思い出され、なつかしいもの、楽しいものとして、いつまでも残っているものです。私がそうです」と書き送り、図画の先生のほかは、学校で級友や先生達からいつも劣等児として冷たい差別待遇を受けて、不幸の一生を終わろうとする自分と同じような道を、一人でも歩かせたくないという深い思いやりの情をこめている。

 さらに処刑の日に、被害者の夫Sさんに宛てた手紙で、「長い間お詫びも申し上げずに過ごしていました。申し訳ありません。本日処刑を受けることになり、深くお詫びします。最後まで犯した罪を悔いていました。亡き奥様に御報告して下さい。私は詫びても詫びても詫びが足らず,ひたすら悔を深めるだけでございます。私の死によって、いくらかでもお心の癒やされますことをお願い申し上げます。申し訳ないことでありました。ここに記してお詫びの事に代えます。皆様の御幸福をお祈り申し上げます」と書きつづり、刑に服する心境として、「僕は気の弱い人間でしかない者だったと思う。でも生きることがとても尊いことだけは解ります。僕の犯した罪に対しては、『死刑だから仕方なしに受ける』というのではなくて、『死刑を賜った』と思って刑に服したいと思います。罪は罪、生きたい思いとは又別なことだと思わなければならない」と深刻な反省を述べている。

 島秋人さんの「遺愛集」(KK東京美術発行)を読んで、その一部を引用させて頂いたように、その中に流動するこのような死刑囚の心境に触れて、私は厳粛なものに打たれた。これほどまでに自己の罪の深さを懺悔し、人間の生命の尊さを自覚反省した人が、処刑されなくてはならないということには、実にやりきれないものを感ずる。

 彼こそは神の御手によつて許され得たであろうのに、人間が作る「法の厳しさ」からは許され得なかったのであろうか。

(昭和四十四年一月)



「峠の落し文」読者Hさんからの感想
(樋口先生宛に)

 私は家事調停委員をさせて頂いております。私が学びました中国語が多少なりともお役に立つのであれば幸いと,言われるままに就任しはや十年になります。

 中国人当事者が日本,彼らにとりましては異邦の裁判所で処遇に不公平感を抱いて去るということがないよう,そればかりを念頭において努めて参りましたが,先生の御本を拝読いたしまして心が洗われる思いがいたしました。人様の事をおこがましく調停する身をその基本に立ち返らせてくれる思いも致しました。残された任期の間,座右の書とさせていただき努力して参りたく存じます。重ねて心より厚くお礼申し上げます。

(本を贈呈されたI弁護士宛に)

 家事調停にたずさわるようになりまして十年になります。事件の種類と申しますと数種類しかございませんが,同じ種類の事件でも,当事者の年令,性格,事件の背後に見え隠れするもの等々,同一のものはございません故,いつまでたっても,新任当時と変わらない緊張感が要ります。医者が人を見ず患部だけを診るのと同様の過ちをしてはならないと自戒することが多い中,樋口先生の御本は出勤前に一章を読んでいくことで,その緊張感を呼び起こして下さる格好の刺激剤になっております。