● 自白(「峠の落し文」から)
安原 浩 (広島高裁岡山市支部) 
  好評につき、元裁判官樋口和博氏の自費出版随筆集「峠の落し文」からの1編を著者の了解を得て紹介します。(平成17年1月)


自白

樋口和博
随筆「峠の落し文」から
 昭和十四年頃、まだ肌寒い東北地方の早春のこと、長年働いていたお寺に放火したということで、六十歳近い婦人が法廷に立たされた。当日は、論告求刑と弁論があるというので法廷は満員だった。

 検事は、恩をあだで返すふとどき者で、情状くむべきものなし、との厳しい論告をして懲役十年を求刑した。弁護士が情状論を述べ、取調べをすべて終わり、裁判長が「最後に何か言いたいことがありますか」(最終陳述)とただした。

 そのときである。彼女は、「はい、折角のお尋ねですので、一度だけ本当のことを申し上げてよろしいですか」と言って、にっこりと笑った。 「勿論、本当のことを言って貰わなくては困ります。それはどういうことですか」との裁判長の質問に対し、「実際のところ、私は火をつけておりません。裁判長さんのお言葉ですから、本当のことを申し上げますが、私はまったくやっておりません。誰か悪い人が火をつけたのかも知れませんが、それは、長いことお仕えしていた仏様だけが本当のことを知っていて下さる。裁判長さんや検事さん弁護士さんが御存じなくても結構です。無理に言わされたとは言え、自分でやったと申し上げた責任があるので監獄行きは覚悟しています。無罪にして欲しいとか、軽くしてほしいなどとは毛頭考えておりませんから、すぐに判決して下さい。私がここで本当のことを言ったことが解り、また警察に連れ戻されたら、どんなひどい目に遭うか解りません。それがこわいばっかりに火をつけたと言い通してきたわけです。警察にだけは帰りたくありません。もうこのまま直ぐに監獄に送って頂きたいのです」と、いかにもほっとした様子でしゃべり終わると、そのまま被告席に腰をおろした。

 私どもは勿論のこと、検事も弁護士も傍聴人も、彼女の思いもよらない淡々とした発言にびっくりした。記録によると、彼女は逮捕された直後、警察の最初の取調べのときに、誰か火事場付近から走って行く人の姿をチラツと見た、という否認の供述があるだけで、そのあとは、その供述を取り消し、一貫した自白調書が出来上がっている。しかも、その否認調書が出来たあとで自白調書の出来たのは、彼女が逮捕されてから数週間たったあとであり、それまでの長い間には何らの供述調書も作られていないことが解った。裁判所もそれに気付かなかったのである。

 そこで、その空白期問中の取調べの模様を被告本人から詳しくきいてみると、「私はその間、毎日毎晩呼び出されて自白を強要されたが、まったく身に覚えがないことなので、最初のうちは強く否認して来たのです。そして数週間後には苦しさのあまり、もう死ぬか、警察の言う通りに言うよりほかにないと考えるようになりました。そこで或る日、思いきって火をつけた、と言いました。すると、お巡りさんは、とても喜んで、その晩、おいしいおうどんを食べさせてくれました。翌日また呼び出されて、どんな工合につけたか言ってみろ、ときかれましたが、身に覚えがないので解りません、そちらでお調べが出来ているように書いて下さい、と言うと、ひどく怒られて留置場にまた戻されます。そしてまた夜半に引っぱり出されて、放火時の模様を警察官の言う通りに認めると、また喜んでくれる。そのようなことを何遍か繰り返したうえ、お巡りさんの作った文章がそのまま書き物になりました。

 検事さんの所へ行くときも、取調べのお巡りさんが後について行きます。予審判事(当時は予審制度であった)さんの所でもお巡りさんが後にいるし、弁護士さんが警察に訪ねてくれたときも、すぐ隣りの部屋にはお巡りさんがにらんでいるんです(現在はそのようなことはない筈である)。どうして本当のことが言えましょう。そんなことを繰り返しているうちに、どうやら火をつけたのは自分だ、と自分に言いきかせるようにした方が気が楽でよいと思うようになりました。それでこの法廷でも、警察、検事、予審でしゃべったことと一言一句違わないように申し上げたわけです。

 私は、やりもしないことをやったと、うその自白をしてしまってからは、とても楽になりました。否認しているときはまったくの地獄でした。重ねて申しますが、どうか私を再び警察の留置場に戻さず、このまま監獄に送って下さい」との趣旨のことを立てつづけにしゃべって、裁判長に向かって手を合せた。彼女の最終陳述のときの笑顔といい、その淡々とした言葉といい、彼女の言うことにはまったくうそいつわりのないことが直接審理している私ども裁判官に痛いほど伝わって来て、その後のいろいろの調べから彼女の自白がうそであることが解り、疑いは完全に晴れて無罪判決を言い渡した。昔の法律は現在と異なり、無罪になってもすぐ釈放にはならない。そのまま留置場に入れられて捜査官から厳重な再調査を受けたが、真実は動かすことが出来ず、遂に無罪はそのまま確定した。

 私はこの事件の審理に関与して以来、捜査官の取調べ段階における被疑者の自白が、あるときには如何にしてゆがめられ、恐ろしいものであるかをしみじみと感じた。そして、司法部の大先輩であった故三宅正太郎裁判長が、その審理に際し、どんなに問題のないと思われるような自白事件についても、被告本人にその真偽を糺すための詳細な取調べをしておられた、ということをきかされ、かつての多くの心ある先輩が、真実の発見と、人権尊重のために、非常な苦労を重ねられたことを窺い知ることが出来て、唯々頭の下がる思いがした。私どもの審理したあの被告人が、私どもの審理不十分のため、その最終陳述において、ただ一言本当のことを言わなかったとしたら、彼女の運命はどうなっていたであろうか、と考えると慄然とするものがある。

 この頃、再審により、死刑確定犯人として勾留中の人達や、無期懲役刑の確定判決を受けた人達が、免田さんの事件をはじめとして、次から次へと無罪の判決を受けるようになった。このような事件は、すべて捜査段階における自白の真否や鑑定結果の不備が問題とされるものである。私共は、このような事件があるたびに、捜査段階の取調べや、弁護活動の不十分や、公判廷での裁判所の審理の不徹底により、無辜の者が処罰されることのないよう慎重な配慮がなされるべきであることを痛切に感ずるこの頃である。

(昭和六十年十二月)