● 「峠の落し文」を読んで
北澤 貞男 (さいたま家裁) 
 樋口和博先輩の「峠の落し文」を読んだ。心が洗われる思いがすると同時に,わが裁判官生活の貧しさを感じ,後悔に近い気分になった。先輩は,厳しい峠に立ちながち,余裕を持って仕事をし,事件とそこに出現する人々に愛情を持って接し,裁判官として正しいと信じる判断を下し,身構えることなく,感じた問題を随筆という文学に昇華し,司法のあり方に警鐘を鳴らしている。みごとと言うほかない。また,先輩が「本書の再版にあたって」において,裁判員制度の先に陪審員制度の復活を展望されていることには,感じ入った。自分など,陪審員制度はどうなるかと思ったが,裁判員制度の新設によって,事実上「廃止」されてしまったと皮相に考えた。陪審員制度復活への一つの段階と考えれば,先が楽しみだし,制度としての工夫も出て来ると期待される。

 ところで,私は第三カードに次のように記載した。

「さいたま家裁を最後の任地と心得て着任し,2年4か月が過ぎた。定年まで4か月少しを残すだけとなった。(中略)昭和41年4月に任官し,在任期間は38年4か月になる。昭和42年から『司法反動』と呼ばれる政治動向の兆しがあらわれ,司法の危機が叫ばれた末,今次の司法改革によって収束し,再びスタート地点に立ったという感があるが,この間,裁判官として生活してきたことになる。青年法律家協会裁判官部会とその後身ともいうべき『如月会』の存続にこだわり,裁判官懇話会や日本裁判官ネットワークの活動に無関心ではいられなかった。裁判所の行政化といわれる傾向がこれ以上進んだら,国民のための司法ではなくなり,わが国の民主主義が後退すると考えたからである。『ゴマメの歯ぎしり』で,何もできなかったが,個人的には『働き蜂』の役目に徹してきた。幸い健康に恵まれたため,これまで法廷を一度も休んだことはない。妻がお産をしても,親が死んでも,仕事を優先させてきた。司法改革の結果,第三カードが作られることになった。裁判官に人事評価は馴染まないというのが持論であったが,できてしまった以上,よりましに運用されることを願わずにはいられない。裁判官を『官僚』としてランク付けしたり,精神的に縛ったりするものではなく,『人を活かす』ための制度として運用すべきである。裁判官が質的に向上し,はつらつとその職権を行使し,国民から信頼されるようになることである。裁判官個人に活気がなければ,裁判所組織に活気が出るはずがない。また,裁判官の専門性が強調されているが,それがランク付けに結びつくことだけは避けるべきである。知財部,行政部,労働部,倒産部,執行部,刑事裁判員裁判部,家事部,少年部などなど,その間に質的な差はないと見做すべきである。」と。

 これを書いて,樋口先輩ならどう書いたかと考えた。身構えて,馬鹿なことを書いたものだとも思ったが,自分らしく行こう,そうすることが先輩の教えでもあると思った。私も先輩と同じ長野県の生まれである。

 定年後は,弁護士として働こう,先輩の人生に見習いたいものだと思っている。