● 学力不足と非行化 刑事法廷の木漏れ日(7)
伊東武是(神戸家庭裁判所) 
 この4月から家庭裁判所で少年事件を担当することになった。日々の関心はどうしても非行問題に向かってしまう。この「刑事法廷の木漏れ日」の当初の着想から少しずれてしまうかもしれないが,非行についての感想めいたものもお許しいただきたい。

 当HPの今月号の「Su&Faからの声」に井垣さんの「少年非行を激減させよう」と題する投稿がある。私も基本的に同じような意見を持つ。最近,高橋由仲氏(当時岡山少年鑑別所長)の「非行少年へのまなざし」(朱鷺書房・2003年刊)を読んで,そのあたりの少年心理がよくわかったような気がした。以下にこの本の一部を紹介したいと思う(かっこ内が引用部分)。


鑑別所の少年たちの学力レベル

 「知的な能力に関して,少年鑑別所の少年たちに目立つのは,学力の低さである。これは知能の低い少年だけでなく,少年鑑別所のなかでは知能は高いほうに属する少年でも,学力はおしなべて低い。もっとも多いのが,小学3年生レベルで止まっている少年たちである。九九の六の段以降が怪しく,分数の通分加減ができない子が多く,分数の割算は例外なくできない。また速度の問題が苦手である。どうも,抽象的思考が入ってくるとできないらしい。九九の上のほうができないのは反復練習をしていないせいだと思われる。分数の加減算は羊羹の長さに置き換えて実感できるが,分数を分数で割る,などというのは羊羹に置き換えられないから,さっぱり分からない。距離を時間という目に見えないもので割る。などという思考は手に余るらしい。小学4年生の算数は,こうした抽象的な概念が入ってくる時期である。たいてい,この時期でつまづいたままなのだ。」110頁


小学生と中学生の違い

 「小学校時代は,遊びほうけていて,ある時の試験でびっくりするような点であっても,普通の子供は,しまった,こりゃ母さんに叱られるな,と思うくらいで,けろっとしている。母が叱っても危機感はなく,「悔しくないのけ」などとハッパをかけられても,「別に」悔しくはないのである。なぜなら,成績が悪くても自己評価が下がらないから,傷つきも悩みもしない。小学生時代には,大人としてのアイデンティティの再構成の前なので,自分は何者でどの程度の人間か,などと自己評価することはないのである。」117頁

 「青年期に入ってしまった中学生は,小学生のようにはいかない。アイデンティティの確立の年代であるから,自分はどんな人間かを真剣に考え始め,何かにつけて他人と比較し,答えを見つけようとする。比較の対象を求めて友達づき合いはもっとも重大な関心事になり,他人の些細なことばに傷つき,些細な出来事を自分に結びつけては劣等感に悩み,未来を考え,迷う。そこでの「学力が低い」という事実は,自己評価に愕然とするほどのインパクトを与える。気がつけば,授業はさっぱり分からない。自習しようとしても,何をどうすれば良いのかも分からない。親も,進路を意識し始めるから,小学生時代とは比較にならない強さで叱り,当惑と心配を子供にぶつける。勉強ができないことに悩み始めた時に,親からの追撃を受けて,混乱し,当惑し,時には激しく反発する。この繰り返しのなかで,そうだ,何だかんだ言っていても,回り中が成績の良い子を優れた子と見ており,自分は劣った人間なのだ,という結論を強めてゆく。」118頁


なにか「取り柄」があれば

 「成績重視の学校教育は健全育成を阻害する,という考え方は,能力に恵まれない子供にとっては事実である。成績で比較されない社会であれば,どんなにこの少年たちの自尊心が傷つかないで済むことだろう。しかし,学力と同じように,芸術的能力や運動能力,優しさや気力,などを評価してくれれば,人はみんな幸せ,というのは,理想論である。この子たちは,それら別の才能にも恵まれていないことが圧倒的に多いのである。スポーツで抜群の才能があれば,成績なんか悪くても自尊心を持てるが,それほど秀でたスポーツ選手になれる確率は限りなくゼロに近い。」120頁


できない子の自己主張

 「このままでは,自分の存在が無意味になってしまう。そこで,個に目覚めた青年期心理は,ここに自分という一個の人間がいることを主張することに駆り立てる。さまざまな「おかしなこと」を始めるのだ。」122頁

 「多くは,髪型や服装,皮膚などにその個人としての存在を示そうとする。」「髪型を普通でないもの,すなわち中学生には禁じられているものにしようとして,かつては長髪やモヒカン刈り,今頃では髪染め,服でいえばかつてはマンボズボン,ラッパズボン,長ランや短ラン,今頃では特攻服,肉体そのものを改造するピアスなどで,自分という個がここに存在していることを周囲に知らしめようとする。また,近年増えたのが,入れ墨である。」124頁

 「異常な行動を見せびらかして何かが起こっていると知ってもらいたいからするのであって,まだ,自分の学校,自分の先生だと思っているから見てもらいたいのである。もっと不適応が高まれば学校から離れてしまう。だから,先生に「なに?その格好は!」と言われるのは少しうれしいのである。無視されると落胆し,見離されていると感じて異常行動はさらにエスカレートする。」128頁

 「自分が優れた人間だと思えない生徒には,いっこうに解決しない学校での不適応や,そこから派生する親や教師との行き違い,次第に悪化する評価,強まる将来への不安,などに常時さらされることになる。授業の不快感,不安,無力感,自分への卑下,周囲の目への苛立ち,親の干渉への腹立ち,期待に沿えない悲しみ,自分の言動への後悔などが加わり,悪循環に陥る。こうした状態は円満な人格形成に好ましいものではないことは言うまでもない。不快気分にさらされるなかで形成されるのは,気分が暗く不安定で短気,衝動的で気分屋,無批判な追従性,過度の心配性,自信の乏しさ,心身の不調への過敏さ,過度な自己顕示,ものごとへの歪んだ感受性などの不適応に陥りやすい性格特徴である。そして,こうした性格の特徴に加え,非行の進む少年には自尊心が欠けている例が非常に多い。」130頁


たとへば暴走仲間に入る子の場合

 このような精神的な不安定さが不登校を招き,なんとか高校に進学しても中途退学となりやすく,やがて夜間徘徊や不良交遊と発展し,ついに万引き,シンナー,バイク盗,暴走等の非行につながりかねないのである。バイクの魅力にとりつかれた少年の心理について,著者は,次のように活写する。

 「バイクのスピード感はおそらく,それまで味わったことのない快感だろう。遊園地のジェットコースターは速いが,あれは自分がスピードを出しているのではない。自分が主体的に操作して驚くほどの感覚を与えられると,自分の能力が何倍にもなった満足感を味わい,陶酔する。特に,自分は他人より劣り何の取り柄もない,などと思い始めた少年にとって,あたかも自分の能力が高まった感覚は自己像まで変えてしまう。なかには,さらに機械に改良を加えてスピードをあげようと企む少年もいて,簡単な改造でそれを果たすと,自分にはこういう隠れた才能があったのか,と新たな自分を発見し,盗んででもバイクを改造したくなる。かっこよく高性能なバイクが出来上がっても,それを見て驚き,賞賛してくれる他人がいないと意味がないので,近くの同じような仲間同士が見せあい,情報交換しあい,誉めあううちに,もっと良く識っている先輩に近づき,その仲間に入れてもらい,グループ化する,という形で暴走族ができあがる。」82頁
(平成18年8月)