正月にラジオの落語を聞いた。5代目古今亭志ん生の「芝浜」である。
普段は,興味あるラジオ番組を録音しておき(トークマスターU),パソコンを介して携帯プレーヤーにドラッグエンドドロップしておく。これを通勤電車の中で聞いて楽しんでいる。NHK第2放送の「ラジオ名人寄席」は,玉置宏の名調子で,今は亡き名人・上手のとっておきの落語を聞かせてくれる。電車の中,イヤホンで聴くのは,普通は音楽であり,うっとりと聞き入る表情がほとんどだが,私の場合,突如,ニヤニヤ,ニコニコし出すので,回りの人は気味悪く思うかもしれない。
志ん生の落語は楽しい。郭などを舞台とした色気のある噺は,志ん生の生き様と二重写しとなっておかしみを増す。しかし,円朝の三大噺の一つと伝えられる「芝浜」のような人情噺もまたいい。
河岸(魚市場)がまだ江戸は芝にあった頃のこと。天秤を担いで魚の行商をする熊さん,酒好きで商売に身が入らず,貧乏のどん底。ある晩女房から説教され,心を入れ替えるからと,家財一切を質に入れて仕入れの金を作って貰う。朝早く,女房に起こされて,天秤を担いで河岸に出かけたが,女房が時刻を間違えたのか,夜明けまでには遠く,河岸は開かない。時間つぶしに浜に出て,眠気覚ましに顔を洗おうと水の中に入る。と,足下に何か絡まってきた。これを拾ってみると,財布であり,中を見ると,何と,二分金で合計50両。熊さん,喜び勇んで長屋に戻り,女房にこれを見せ,お前にも贅沢三昧させてやるとひとりはしゃぐ。だが,女房は,落とし物だから届けないと,と浮かぬ顔・・・。ここから始まる面白い筋を書いてしまうのはヤボというもの。心温まる人情噺が展開する。
刑法に「遺失物等横領罪」という罪がある。「遺失物,漂流物その他占有を離れた他人の物を横領した者は,一年以下の懲役又は十万円以下の罰金若しくは科料に処する」(254条)とある。平たく言えば「落とし物を勝手に自分のものにしたら,懲役か罰金だよ」というわけだ。江戸時代にこれと同じような掟があったかどうかは知らない。熊さんの女房の心配は,現代に置き換えたものかもしれない。
ある裁判所で,すでに還暦をとうに過ぎた被告人が,路上に何日も放置されている自転車を家に持ち帰り,これが遺失物等横領罪に問われた事件を担当した(駐輪場からこれを盗んだ別の犯人がここに置き去りにしていたものと思われる)。
被告人は,どういうわけか,自転車に異常な関心があり,この自転車も何日か前から買い物の行き帰りに見つけており,逡巡した末,ついに,誘惑に負けて家に持って帰ってしまったのである。悪いことに,被告人には,自転車窃盗の前科があって,その執行猶予期間中であり,しかも,保護観察がついていた。裁判官は,このような事件の場合,通常は懲役刑を選択すると思われる。被告人は,今度の罪で懲役刑になれば,もう執行猶予はつけられず,間違いなく刑務所に送られることになる。
検察官は,何せ謹慎期間であるはずの保護観察付きの執行猶予期間中にまた同じような罪を犯したことは,法をないがしろにするもので許せない,罰金刑では済ませられない,懲役刑で服役させるべきだ,との峻厳な態度である。これに反対する論はむつかしい。被告人は,今度こそ刑務所行きかと,法廷でおびえ顔。
若い弁護人は懸命に弁護する。根は善良で定年まで地道に働いてきて年金生活に入っていること,独り者で慎ましく暮らしており他には犯罪を犯す傾向はないことなどを強調し,さらに,加齢のために知的ないし判断能力が衰えていることも,医師による知能検査の結果で証明しようとした。反省の気持ちを表すために10万円の贖罪寄付もした。当然,どうか罰金刑を言い渡してほしいというのである。
重大事件というわけではないが,私は結構迷った。担当書記官の意見も聞いた。最後は決断のようなもので,異例だとは思いつつ,罰金刑を選択して言い渡した。いつもより数倍も長い判決書となった。幸い検察官も温情をもって控訴をせず,確定できた。皆さんなら,どう判断したでしょうか。
「芝浜」から,とんだ連想となりました。お後がよろしいようで。 |