酒と事件,おそらく人類にアルコール飲料が発明されて以来,絶えるころがなかった悲喜劇であろう。シンナーや覚せい剤絡みの事件はマスコミを賑わすが,飲酒が影響した事件はもっと日常的である。殺傷事件だけではない。
ある海辺に近い街の裁判所で勤務していたころのことだ。
男は,その街から船で数時間の島の生まれである。刑務所を出たばかりのその男は,今度こそ,郷里の島に帰り,父親の農業を手伝いながら地道に生きて行こうと固く決意していた。刑務所から港まで脇目も振らずに直行した。午後の3時である。出航までに1時間ほどあった。待合室で,ふと,自動販売機の清酒のワンカップが目にとまった。懐には,島に帰る切符代を払ってまだ十分余る報奨金がある(刑務所では,更生の助けとするためわずかな報奨金が支払われる。それを貯めておいて出所時に受け取るのである)。酒ではずいぶん失敗してきたが,出所したしたばかりの今日は,ワンカップ1本くらい飲んでもいいだろう,と考えた。その1本がまたもやつまづきの石となった。
彼の酒好きは,とうてい1本で終えることができない。その身体は,アルコールが1滴入るや否や,際限なくアルコールを求め続ける。ワンカップを何本か飲み干すうち,船の出航時刻となった。次の便でいいや,そう言い聞かせて,また飲み続ける。気分が大きくなると,賑やかな店で飲みたくなる。街に引き返す。居酒屋を何軒か回ると,今度は,女性のいる店で久しぶりにもてたい気持ちが抑えられない。スナックにも行く。すっかり夜も更けてしまった。島へ帰るのは,明日でもいいだろう,何せ,今日は出所祝いだ。それイケ,やれイケ,気分は最高,ハチャメチャに楽しい・・・。しかし,報奨金は底をつく。それでもまだ飲まなければ収まらない。ついに,深夜,一軒のスナックで無銭飲食,「御用」である・・・。「戦い済んで日が暮れて」みれば,留置場の中。1年か1年半か,また刑務所に戻らなければならない。
彼は,こんな繰り返しを,ここ7,8年続けてきた。船でわずか数時間の郷里は,彼にとって,地球の裏側ほどにも遠いのである。
その男の酒癖の悪さは,底なしとはいっても,まだ無銭飲食という比較的柔らかい罪(詐欺)にしか現れない。酒が入ると,とめどがなく,人格が一変し,やたらと粗暴行動に出る人も少なくない。凶悪な犯行につながる危険な飲酒である。
大抵の人は,酒を程々にできる。愉快になって,そのうち眠くなり,身体自身がもうアルコールを受けつけなくなる,幸せな酒である。そうした体質が生まれつきだとすれば,親に感謝するばかりである。
しかし,世の中には,体質のなせるワザか,際限がなくなり,途中で止められないタイプの人がいる。不幸な人だ。その人にとっては,酒は,覚せい剤や麻薬以上の毒というべきである。私も,法廷で,そんな被告人に,酒を断つように説諭する。しかし,酒を断つことが,これまたまた難しいことなのである。
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