大都市の裁判所では、各部の裁判長、右陪席及び左陪席裁判官ごとに、横断的な懇親組織が作られることが多い。それぞれの会のネーミングは、誰が考えたのか知らないが、なかなか面白い。
地裁所長も 裁判長も ここじゃみんなが 「平」に「成」る
私が弁護士任官して初任だった東京高裁では、右陪席と左陪席の区別がさほど明確ではないためか、陪席裁判官全体で「平成会」を構成していた。これは決して元号を冠したというものではない。地家裁の裁判長や、場合によっては所長まで務めて来たベテラン裁判官でさえも、東京高裁では必ずしも部総括ではなく、「平」の判事に「成」るということをもじったネーミングなのだと承った。
右近の「橘」 右側に立ち 合議を支える 立場なの
次に私が配属された東京地裁民事部では、右陪席裁判官が「橘会」を構成していた。これは明らかに、平安京の京都御所の「右近の橘」に由来したネーミングで、判りやすい。
三ツ葉「葵」の 印籠出すは 格さんらしいが 右かしら?
その次の任地の、さいたま地家裁川越支部では、全体でも十人強しか裁判官がいないため、陪席裁判官の会は存在しなかった。しかし、現任地の横浜地裁では、民事部の右陪席格の裁判官(特例判事補以上)で「葵会」を構成している。このネーミングの由来は、これを知る古老や古文書が見当たらないため、未確認である。一説に「水戸黄門」の最後のシーンで「三ツ葉葵」の印籠を出すのが右側の人だからではないかと言われ、一旦はなるほどと思った。しかし、印籠を出すのは、助さんと格さんのどちらだったか。ネットで調べてみると、テレビドラマの初期には一定していなかったが、最近は原則として格さんのお役目になっているという。念のため、久しぶりに「水戸黄門」を見て確認した。確かに印籠を出したのは格さんだったが、その回での立ち位置は、黄門様の左側だった。これでますます判らなくなってしまった。なお、真相究明活動を続けていきたい。
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