「世界に二つの 縁切寺の 寺法守った 江戸の知恵」
この連載の3回前(21)で取り上げた縁切寺の一つを訪ねて来た。
昨春、人事訴訟係裁判官(川越支部)と家事審判官(飯能出張所)に任じられ、昔の離婚制度(縁切寺の寺法)に興味を持った。そして、たまたま調停委員の研修会で話題にしたら、飯能調停協会で休日にバスツアーを組むことになったのである。
「駆け込み女が 危機一髪で 草履投げ込む 満徳寺」
埼玉県飯能市からのツアー一行の行き先は、意外に近い群馬県太田市の満徳寺。徳川家康の孫である千姫が、入寺して豊臣秀頼との離婚を果たしたという由来から、縁切寺として公認されたという。
ただし、もう一つの縁切寺であった鎌倉の東慶寺ほどは一般に知られておらず、長らく荒れ果てていた。最近になって公立の資料館として再生された。
駆け込み女が、追って来た夫に捕まる間一髪のタイミングで、寺の門内に草履を投げ入れてセーフと判定される場面を描いた「満徳寺駈入の図」は印象深い。
「高木館長 熱弁アジール 保存すべきは 満徳寺」
太田市立「縁切寺満徳寺資料館」では、高木館長自ら、ツアー一行を迎えていただき、熱弁をふるって解説して下さった。講談社現代新書「三くだり半と縁切寺」の著者で、縁切寺の研究の第一人者(法学博士)である。この資料館建設の立役者でもあった。
高木館長によると、ここは生命身体の危険を避けるために駆け込むアジール(避難所)だったという。
それを聞いて、学生運動用語の「アジる」(アジ演説をする)を思い出してしまった。高木館長も、資料館建設のため、色々と訴えたようだ。
「深厚宿縁 浅薄の事 水に流して ふん切りを」
縁切状「三行半」の決まり文句は「深厚宿縁 浅薄の事」だったそうで、実例もいくつか陳列されていた。
しかし、資料館の最大の目玉は「縁切・縁結厠」である。
3月23日放送の「ぶらり途中下車の旅」で、舞の海が訪れていたので、テレビで御覧になった方もいらっしゃるだろう。
右と左に、白と黒の和式水洗便器が二つ並んでいる。
これは、大阪の持明院や京都の清水寺にあった縁切厠を、高木館長のアイディーでアレンジしたものだそうで、非常に面白い。
舞の海は、厠で縁を切るための「糞切り」を付けるという意味か、と早合点していたが、そうではない。
「縁を切るかの 白黒つけて 水に流すは 満徳寺」
この厠では、実際に大便をして糞切りを付けるのではなく、お札を「水に流す」のである。「縁切札」には、縁を切りたいものを書き、白い水洗便器に流す。「縁結札」には、縁を結びたいものを書き、黒い水洗便器に流す、という趣向。
資料館では、来館当日用のお札のほかに、後日郵送して館長に流してもらうための封筒付き専用お札セットも、記念品として販売されていた。
もちろん、私も買って来た。
さて、今の私の場合、それぞれのお札に何と書こうかと長考中。
でも、やっぱりこれかな。
「長期未済と 縁切りをして 迅速審理と 縁結び」 |