「なんで判事は 独立なのか 数式にすれば よく分かる」
数学ブーム到来のようだ。
映画「博士の愛した数式」、フジテレビの深夜番組「たけしのコマネチ大学数学科」などが相次ぎ人気を博している。ベストセラー「国家の品格」で今を時めく藤原正彦教授も、かつてエッセー集「若き数学者のアメリカ」で世に出た数学者である。大村あつし「人生は数式で考えるとうまくいく」なんていう本まで出ている。数学ファンは意外に多いようだ。
実は私も、高校時代に最も好きな科目は数学だった。とりわけ好きだった確率計算などは、今でも時々試みることがある。
そこで、今回は趣向を変えて、なぜ裁判官にとって「独立」すなわち互いにあらかじめ他の裁判官や上級審に相談せず「独りで考える事」が重要なのか、確率論で証明してみたい。
1.単独体での誤判率は?
問題を単純にするため、経験や能力の差は捨象して、個々の裁判官が正しい判断をする確率は均一であると仮定し、その確率が3分の2であるとしよう。
そうすると、裁判官が単独で判断する場合の誤判率は、3分の1である。
誤判率の方が計算しやすいので、以下、これをどのような場合に最小にできるか検討することにする。
2.理想的な3人合議体では?
まず、3人の裁判官が合議体を組んで多数決で判断すると誤判率はどうなるか、計算してみよう。
多数決の結果が誤判となるのは、3人全員が間違った場合(3分の1の3乗)か、3人のうち2人が間違って誰か1人だけが正しかった場合(3分の1×3分の1×3分の2×3通り)である。
計算すると、その確率は、
(1/3×1/3×1/3)+(1/3×1/3×2/3)×3
=1/27+6/27=7/27=0.26
誤判の確率を単独体の3分の1(=0.33)から相当程度減少することができると実証される。
しかし、ここで、そうなるために必須の前提条件があることを見落としてはならない。それは、合議体を構成する3人が、それぞれ「独立して」考え抜いた上で、その結果を持ち寄って答合わせをすることである。
もし、そうでなかったとしたら、どうなるか。
3.「1人合議」では?
あってはならない事だが、合議体とは名ばかりで、実際には3人のうちの1人しか真剣に考えていなかったと仮定しよう。例えば、合議事件の主任裁判官である左陪席は一生懸命考えているが、右陪席はお任せで、裁判長もフリーパスというのが最も悲劇的なケースである。あるいは、左右の陪席裁判官が裁判長のイエスマンとなり、無条件に従ってしまうケースも想定される。
実際には1人しか考えていないのだから、この場合の誤判率は、単独体と同じ3分の1となる。あえて計算するまでもないだろう。
4.「2人合議」では?
それでは、悪名高き「2人合議」ならば、誤判率は下がるのか。例えば、合議事件を主任裁判官である左陪席と裁判長の2人だけで検討し、右陪席がお任せにしてしまうケースである。
誤判となるのは、その2人が共に間違った場合(3分の1の2乗)か、1対1に意見が分かれ、キャスティングボートを握ってしまったが考えない右陪席が半々の確率で間違う場合(3分の1×3分の2×2通り×2分の1)である。
計算すると、その確率は、
(1/3×1/3)+(1/3×2/3)×2×1/2
=1/9+2/9=3/9=1/3
驚くべきことに、誤判率は単独体と同じ3分の1で、全く低下しないことになってしまうのである。
5.理想的な合議体とは?
以上により、合議体を組む以上は、構成する3人全員がそれぞれ独立して考え抜かなければ無意味だということが、数学的に証明されたと思う。
これを合議体における「裁判官独立の法則」と名付けたい。
6.「ヒラメ裁判官はいらない」理由
以上は下級審での3人の合議体を念頭に置いた検討だったが、3審制の下での上級審と下級審との関係においても同様のことがいえると思う。もし、下級審裁判官が何も考えずに無条件に最上級審の見解に従うという姿勢をとったならば、実際に考えているのは3審のうち最上級審だけということになってしまうのである。
最上級審や裁判長の顔色ばかりうかがい、自分の頭で考えようとしない「ヒラメ裁判官」がいるとすれば、それは裁判所全体の誤判防止には何ら寄与していないことになる。
よって、町田前最高裁長官の新任判事補に対する「ヒラメ裁判官はいらない」発言は、全く正しい。(証明終わり)
「ヒラメ判事は いらないわけは 確率論なら よく分かる」 |