● 弁護士任官どどいつ(15)
竹内浩史(東京地裁) 
「短く言ったら どういう事案? どどいつ・判決 同じ事」
「どどいつ判決 書けそうだけど たぶん世間が 許さない」

 私が今年3月から始めたブログ「弁護士任官どどいつ集」http://blog.goo.ne.jp/gootest32

 現職裁判官の実名でのブログは珍しく、それなりに注目され、朝日新聞では既に2回にわたって取り上げられた。

 このブログの一つの目玉として試行しているのが、一連の「判決どどいつ」である。新聞等で大きく報道され注目を浴びた判決を、どどいつに「翻訳」するという試み。裁判所内外で割と評判がいい。

 最近、「判決理由が短すぎる」との理由で不再任となった裁判官がいた。私は、判決理由が短い事自体は非難に当たらないと考えている。おそらく伝統的な「裁判官の独立」に配慮してそのような形式面を捉えた理由にしたのだろうが、判決の質は長短ではなく中身(結論の正当性と理由の説得性)で論じられるのが本来である。複雑な事案を的確に解きほぐし、なるべく端的に争点と判断理由を示すことができれば、それはむしろ名裁判官である。松尾芭蕉のような名人が裁判官であれば、判決理由は「5・7・5」の17文字で示すこともできるのではないだろうか。もちろん冗談半分だが。これを私は「7・7・7・5」のどどいつで実験してみようという着想。

 しかし、これを自分の担当事件の判決で実行したら、現状ではおそらく猛烈な社会的非難を免れないだろう。ブログを見ていただいた方から、「あなたは裁判をしながらどどいつを考えているのではないか」と冗談交じりに言われた事もある。もちろん、そんな事はない。ただし、この事案は法律的観点を離れて端的に言ったら一体どういう事案なのだろうか、と考えてみる事はある。それが、どどいつ程度の短さで見事に表現できるようになったら、取りも直さず事案を解明した訳であり、同時に頭の中で判決の骨子が出来上がる場合もある。


「ひとの判決 どどいつにして 決して賛否は 論じない」
「判事の独立 違反は3つ 指導・助言と カンニング」

 そうすると、どどいつに「翻訳」して発表するのは、専ら他の裁判官の判決にならざるを得ない。
 ここで一応考えておかなければならない問題は、現職裁判官が他の裁判官の判決に言及する事が「裁判官の独立」を侵さないかどうか。

 結論としては、全く問題ないと思われる。その理由は、他の裁判官との関係での「裁判官の独立」は、裁判は担当している裁判官だけで考えて結論を出すべき、という点に尽きるからである。その結論である判決が出された後で話題にする事は、何ら問題ない。係属中に、他の裁判官が口出ししたり、逆に他の裁判官に尋ねたりするのとは全く異なる。これらが禁止されるのは試験中の指導・助言やカンニングと同様であって、答案が提出された後であれば、感想等を述べ合う事は問題ないし、有益でもあろう。

 それならば、判決直後に他の裁判官が賛否の意見を公表しても構わないという事になるが、私はなるべく控えている。担当裁判官がしっかり審理して考え抜いて出した筈の判決を、他の裁判官が安易に批評するのは失礼だと思うからである。だから、私はどどいつへの「翻訳」に徹するように努めてきた。もちろん言葉遊びの世界だから、私の解釈・脚色やどどいつの技法(掛詞・本歌取り・折り込み等)が入り、担当裁判官の意図に完全に忠実な作品とはなり得ない点は、どうか御容赦願いたい。
したがって、私がどどいつに「翻訳」した判決は、個人的にも全面的に賛成という訳では必ずしもない。もっとも、いいなと感じた判決は、論旨明快で、どどいつへの「翻訳」が容易な例が多いように感じている。
(平成18年10月)