● 弁護士任官どどいつ(8)
竹内浩史(東京地裁) 
「司法に均一 求めたならば どこの判事も 五分になる」

 6月14日の夕刊各紙のトップ記事は、ある最高裁判決だった。交通事故の損害賠償額算定では、中間利息の控除率は年5分に統一すべきだとし、年3分としていた札幌高裁判決を破棄したもの。破棄理由には、裁判官ごとに判断が区々に分かれることを防ぎ、被害者相互間の公平を確保すべきとあった。加害者の上告理由も、他の加害者との不公平感を訴えるものだったらしい。司法に対し、全国どこでも五分五分の平等な判断を求める要求は強い。裁判官に個性を求めることとどう調和すべきだろうか


「判と弁との 交流戦も きっと流れを 変えるはず」

 6月18日、初めてのプロ野球セ・パ交流戦が終わった。独走体勢に入るかと思われた我が中日ドラゴンズは、苦手のパ・リーグ球団に苦戦、流れが変わり、あっけなく首位を明け渡した。しかし、大多数のファンの感想としては、交流戦は大成功だったようだ。考えてみれば、弁護士任官と、今年から始まった判事補の弁護士経験制度も、交流戦のような感じだ。判・検の交流しかなく、批判されていた時代とは隔世の感がある。裁判官と弁護士の交流も、数が増えれば、司法の流れを変えることになるのではないか。


「市民に推薦 されたのだから 再任されぬも やむを得ぬ」

 大阪で6月24日に開催された日弁連司法シンポと、翌々日の日本裁判官ネットワークの会合で、ハワイ州のマッケナー裁判官のお話を伺った。ハワイでは、裁判官は任期付きの応募制で、弁護士と市民による委員会で推薦された候補者の中から任命される。そして定期的に弁護士から匿名で評価を受ける。匿名では無責任にならないかという心配もするが、そうでもないようだ。評価によっては、再任されない例もある。しかし、推薦してくれた市民から再任されなければ、仕方ないと割り切ることも必要なのだろう。


「長官会同の 新判例で 東京地裁も クールビズ」

 6月22日、全国の高裁長官と地家裁所長が最高裁に集まる「長官・所長会同」が開催された。報道で注目されたのは、内容よりも出席者の服装だった。最高裁長官はスーツにノーネクタイの「クールビズ」スタイルで出席。最高裁判事のうち4人もノーネクタイ。長官・所長は、多くが上着を脱いでいたが、ネクタイは外さない人がほとんどだったという。その影響なのか、翌週に開催された東京地裁の裁判官会議でも、スーツを脱ぐ人が目立った。私もその後、和解室にはスーツを脱いで入ることにした。ネクタイも実用的なループタイにしようかなと思案中。


「房に一晩 留置をされて 記名印押す 逮捕状」

 7月某日、裁判官として初めて刑事事件を担当した。東京地裁では、今年度から民事部の右陪席クラスの裁判官も、当直の令状当番を担当することになったためだ。裁判所の一室に泊まり込み、捜索差押許可状と逮捕状を数通ずつ発付する経験をした。責任の重大さに、一睡もできなかった。この緊張感は、刑事特有のものだろう。弁護士時代の当番弁護や国選弁護が懐かしくなった。裁判員制度の施行を控え、民事から刑事へ替わる裁判官もいるようだ。私も、いつの日か、刑事裁判を担当してみたくなった。


「権利ばかりと 批判をしても 出来て喜ぶ 新権利」

 7月14日、最高裁の新判断が注目を集めた。公立図書館の司書に著書を廃棄された「新しい歴史教科書をつくる会」等が国家賠償を請求した裁判。一・二審は請求を棄却していたが、最高裁はこれを覆し、公立図書館に著書を不当に廃棄されない「著作者の人格的利益」を認めた。原告側は記者会見で「新しい権利が認められた」と述べたという。憲法や教科書に権利ばかり書いてあると批判する人たちもいる。しかし、今回の判決は、憲法・教育基本法・図書館法等の解釈により新しい権利を導き出したものだ。
(平成17年7月)