はるか西の国に憧れて,司馬遼太郎の「愛蘭土(アイルランド)紀行」(朝日新聞社)を読んだ。司馬が立ち寄ったロンドンで聞いた泥棒の話が面白い。イギリスでは,空巣は傷害や殺人ではないから,名にしおう警視庁も重視しないという。現場に警官が来て,盗まれた品々をメモしてから,「もし保険を請求されるようなことがあるなら,証明書を書いてあげてもいいですよ」という程度で終わりだという。自宅を盗難から防衛するのは自分であって警察ではない。空き巣に入られるのは被害者のミスか油断である,という考えのようだ。日本のように,オカミがまるごと面倒をみてくれるというのは,ひょっとら,過剰もしくは異常なのかもしれないと,司馬は感想を述べる。昭和62年頃に書かれた紀行文だが,おそらく今も基本的には変わってはいまい。
わが警察は,万引とかバイク盗の事件でさえも,被疑者が最初から自白しているのに,ともすると,何十枚に及ぶ供述調書をとり丁寧な実況見分調書を作成する。そうした捜査で,共犯者がいようものなら,たちまち1件につき厚さが10センチ以上,ともすると2分冊にもなる書類の山(証拠)が出来上がる。その「綿密・精密さ」をみていると,捜査のエネルギーをもっと他の凶悪重大事件,未解決事件に注げばいいのにと思ってしまう。
ついでに,その本で司馬が紹介した小話的な挿話も面白い。家の前に置いていた古い車を盗まれた英国人の話である。1週間してそのボロ車が元の場所に戻ってきた。しかも,車の中に礼状まで入っていた。それによると,「よんどころない事情で車を無断借用しましたが,幸い用事が早く済んだのでお返しします」。さらに恐縮な(?)ことに「お礼のしるしに」と家族の人数分だけのオペラのキップまで入っていた。一家は,大喜びで,その日付のその時間に,総出でオペラ見学に出かけた。その留守中にごっそり家財を盗まれたのである。「心理の裏をかくという点で,スパイを思わせる。さすがに,女王陛下の007が所属する海軍情報部の伝統を持つ国である」と司馬は感心する。 |