● 鴎外と「自由意思」  本の中から(2)
棚田の案山子 
 歳をとると,昔読んだ小説をもう一度読み返したいと思うことがある。そして,かつては多分何げなく読み飛ばした箇所に,改めて思わず強い感動や驚きを覚えたりするのだ。年輪を重ねることは無駄なことではない。

 先日も本屋で気まぐれに森鴎外の「阿部一族」が載った文庫本を買ってみた。「かのように」という一編の中で,そんな「驚き」に出会った。

 「法律の自由意思と云うものの存在しないのも、とっくに分っている。しかし、自由意思というものがあるかのように考えなくては、刑法が全部無意味になる。」

 大正3年の作品である。ドイツに留学した鴎外は,刑法学の基本の勉強もしたのであろう。それにしても,現代に続く刑法の根本問題について,90年も前に,しかも,医学者・文学者である鴎外が,ずばり本質をついた指摘をしているのには驚いた。

 刑法をよく勉強している同僚のひとりが「鴎外が留学した頃は,新派刑法学が盛んだったのではないですか」と教えてくれた。そうかもしれない。

 そういえば,「高瀬舟」も安楽死を扱っている。鴎外の刑法に対する関心は並大抵のものではなかったのだ。というより,人間を扱う文学の分野では,人間倫理の根源に迫らざるを得ない刑法理論は,限りなく刺激を与えてくれるものなのかもしれない。