● アメリカの裁判での陪審員選び
判事補・米国留学中 
 陪審裁判の最大のヤマ場は,重要証人の尋問でもなければ,ドラマチックな最終弁論でもない,何よりも大切なのは最初の陪審員選びの段階だ,という話を聞いたことがある。確かに,私が新聞やニュースで知る限りでも,審理に2,3週間を要する死刑事件のために1か月以上かけて陪審員選びが行われたというような話はざらにあるし,陪審員選びを有利に進めるためのコンサルタント業務を手がける会社まで存在する。アメリカでは,判断者を作り出す作業はそれだけ重要と認識されているのである。

 陪審員を選ぶ実際の手続であるが,一般的には,多数の陪審員候補者を法廷に呼び出して,裁判官と当事者が色々な質問をし,その結果,まず不当な偏見を持っていることが明らかになった者を除外する。その上で,各当事者がそれぞれ一定数の陪審員候補者を無条件に忌避し,最終的に残った12人が陪審員になる,というのがごく大雑把な流れである。

 ところで,陪審員選びの際には,場合によって人種や性別が重要な要素になると言われている。人種や性別による一般的傾向としてよく引用されるものを挙げてみよう。

  1 黒人女性とユダヤ人は,死刑の適用に強く反対する。

  2 黒人とイタリア人は被告人に甘く,ドイツ人とイギリス人は被告人に厳しい。

  3 白人は,被告人が黒人であるというだけで有罪の心証に傾きやすい。

  4 白人は,警察官の証言を信用しやすい。

  5 黒人は,大企業が訴えられた民事事件で原告(消費者)に同情しやすい。

 ちょっとびっくりするようなステレオタイプであるが,ある学者によれば,上記のような一般的傾向は,「歴史的に虐げられてきたグループに属する人は,国家権力や大企業に対して不信感を持ちやすく,他方,歴史的に恵まれてきたグループに属する人は,治安の維持を重視しやすい。」ということで大体合理的に説明ができるのだそうである。そして実際にも,例えば死刑適用の是非が争われる事件では,黒人女性やユダヤ人を陪審員に残すかどうかをめぐって弁護人と検察官の間で激しいバトルが繰り広げられることが多い。

 ただし,これらはあくまでも「一般的傾向」にすぎないことに注意しておく必要がある。アメリカの有名な判例法理は,憲法の平等原則を根拠として,人種又は性別のみに基づく陪審員選びを禁じている。つまり,当事者が一定数の陪審員候補者を無条件に忌避できるといっても,それは人種又は性別という十把一絡げのステレオタイプを動機とするものであってはならないのである。要は,当該陪審員候補者個人の属性にどれだけ重きを置いて忌避権が行使されているかということなのであるが,その答えは忌避権を行使する当事者の心の中にあって,外から容易には分からない。こうして,アメリカの裁判官はいつも頭を悩ませるのである。
(平成17年5月)