● 裁判員劇ドラマに出演して
森野俊彦(京都家裁) 
 先般(本年3月20日夜)KBS京都テレビで放映された裁判員劇ドラマ「あなたが裁く!2」に裁判長役で出演させていただいた。2009年のある日、会社勤めをしている既婚女性沙和子のもとに裁判所から「裁判員」の出廷通知がきた、というところからドラマは始まり、その女性が、生まれて初めて、裁判員選定手続、公判審理、評議を経験していくことで何を得ることができたかということが、ドラマの眼目であるが、ここでは、事前収録された模擬裁判の裁判長(役)の感じたままを少し述べてみたい。

 公判審理の部分は、冒頭手続における黙秘権の告知にせよ、証人尋問の際の弁護人の異議に対する裁定にせよ、すべて台本で言うべきことが確定しており、これを暗唱すればいいのだが、言い間違えるといけないと思うとかえって緊張し、声がうわずったり裏返ったりする。審理のあとに行う裁判員に対する説示は別として、その他の発言はこれまで法廷で数え切れない位してきたもので、すらすらいえて当然なのに、「せりふ」という枠がはめられると、これが存外難しく、NGを出して他の人に迷惑をかけてしまうこと数度にとどまらない。中島貞夫監督がしきりに「自然体で」と力説されるが、あせると今度は舌が上手にまわらない。その点、証人や被告人を演ずる人たちは、プロだけあってせりふを間違うことはほとんどなく、演技も自然体である。プロと素人の違いを痛感させられた。公判審理を終えたころ、裁判官(私のほかは、京都弁護士会の2名の弁護士)及び裁判員(1名は女性主人公。他の5名は公募者からくじびき)の疲労度は相当な程度に達していたはずだ。

 僅かの休憩ののち、評議の開始。これには台本はなく、ぶっつけ本番だ。「決められたせりふ」もないため普通にしゃべればいいので、その点は気が楽であるが、進行役としては、裁判員の皆さんが満遍なく発言してくれるかどうか、議論が本筋を逸脱せずに議論が進むかどうか、さらには無事に評決に達することができるかどうか、心配し出すときりがない。「判決宣告」場面も収録したいのでできれば2時間位で収めてほしいという要望もきいていたので、時間も無制限というわけにはいかない。また、主人公沙和子にもそれなりの発言をしてもらう必要があり、そのため評議の始まる前に、彼女には「何でも思いついたことを話していただければフォローしますよ。」と、ややルール違反ながら、ここはプロの気配りをみせておいた。さて、評議に入って驚いたのは、市民裁判員の被告人に対する姿勢が予想外に厳しいことである。事案を簡単にいえば、不倫で生まれた子を乳児院に預けた被告人が、他の者と共謀して、その子を育てている実父のもとから「身代金目的で」誘拐するという、実際ではやや想定しにくいケースで、「身代金目的誘拐」の共謀立証も客観的に見て十分でないようにと思われたが、裁判員の方から、身代金目的の共謀があろうがなかろうが、また被害者が宥恕しようがしまいが、そもそも「不倫の子」を宿すことがけしからんし、子どもを捨てたり安易に借金をするのも許せないとして、厳罰相当の意見が相当数出てきたことに驚かされた。裁判員に果敢に応募してこられた経緯からして、ご自分の積極的、肯定的に生きてこられたように見受けられ、そうした生き方、人生観が犯罪に走った女性に厳しい見方をされているのかなと感じ、私から、「裁判は被告人の人生を裁くのではなく、犯した行為を裁くものといわれていますが」と軌道修正的発言をしたけれども、最後までその基本線を譲られることはなかった。こうした状況を前にして、私は以前に、模擬裁判でよく取り上げられる、戦前の陪審無罪判決をモデルにした放火事件の評議に臨んだ際、消防団員の被告人が大工であったことを重視し「建築に命をかけている大工が放火することはあり得ない」と自説を譲らなかった市民の方がおられたことを思い出した。デンマークの参審裁判を見学した際にも、稀に「譲らない市民」がいることを裁判長から経験談としてうかがったことがあるが、模擬裁判ではなく実際の事件の場合に、裁判員裁判での評議が互いの意見の応酬のあとに相互乗入れやアウフヘーベンを経てひとつの結論にたどり着けるかかどうか、必ずしも楽観を許さないのではとの印象を抱いた。さて、我々の評議は、時間の関係もあって採決をせざるをえなくなり、結論としては「懲役2年6月、執行猶予3年」という評決になったのであるが、残念ながら、判決宣告場面は収録されず、後日の放映ではその結果だけが字幕で紹介された。

 以上が、裁判員劇ドラマに出演した私のささやかな感想である。今回裁判員として参加された方のものだと思うが、「裁判員制度では、『個々人の豊かな人生経験を司法判断に活かす』ということが目的のひとつになっているが、本当にどこまでそういったことができるのか、単に自分勝手な偏見や思いこみばかりがふつかりあうようなことになりはしないかその辺が今後の大きな課題ではないか。」との感想が、ホームページに紹介されていた。まことに同感である。それと、後日談をひとつ。私が、別の集まりで今回のドラマの経験を話す機会があり、その際、今後の評議においてはさきほどの「譲らない市民」が問題になると思われると述べたところ、「譲らない裁判官」の方が問題では、と逆襲された。痛いところをつかれた感じで、当方、しばらく絶句した。

(平成17年5月22日記)