日本でも最近司法取引の導入が取り沙汰されているようであるが,アメリカでは,起訴された事件の実に8割が司法取引で終了しているという統計がある。司法取引とは,簡単に言えば,被告人が有罪を認める代わりに,検察官が犯罪の一部を不問に付すなどして通常より大幅に軽い刑を求刑し,裁判官は有罪無罪の審理を開くことなく有罪判決を言い渡すというものである。
取引(bargaining)とは言っても,刑を決めるのは本来裁判官の役目であるから,裁判官は,必ずしも検察官と被告人の取引内容に応じた刑を言い渡す必要はない。しかし,訴訟手続における当事者のイニシアティブが徹底されているアメリカでは,裁判官が取引内容と異なる刑を言い渡すことは滅多にない。つまり,検察官と被告人にとっては,意図したとおりの判決をその場で得ることができ,裁判所にとっては,ほとんど時間と労力を費やすことなく事件を処理できるという,一見夢のような制度なのである。結果の予測が難しく,トライアルまでにディスカバリー等で数年を要するのが当たり前の陪審裁判とは好対照である。
ところが,皮肉なことであるが,司法取引が陪審裁判と比べて魅力の大きい制度であるがゆえに,無実の被告人が取引を受け入れて有罪になるという危険性が出てくることになる。実際,1級殺人容疑の被告人が,死刑又は仮釈放なしの終身刑の可能性に直面しながらトライアルまでいって争うか,あるいは司法取引に応じて刑務所で15年過ごすかという選択を迫られた場合,状況は極めてシリアスである。また,司法取引に応じれば執行猶予付きの判決を得て直ちに釈放される見込みのあるような事例では,日本で言うところの「人質司法」と同様の問題状況がある。それでも,裁判所という場で刑事専門の弁護人のサポートを受けながら司法取引を行うアメリカの被告人は,弁護人の立会いすら許されない取調室で自白を迫られる日本の被疑者と比べれば,その境遇は大きく異なると言ってよい。
司法取引の導入を検討するにあたって,今後日本でどのように議論が展開されていくのか,興味深いところである。
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