● 広島の夏(弁護士任官日記)
工藤涼二(広島高裁)
 私が任官してから3度目の夏も過ぎました。とりわけ酷暑に見舞われた今夏でしたが,皆様いかがお過ごしだったでしょうか?

 広島高裁では,7月21日から8月31日までの間に,いわゆる「夏休み」を前期,中期,後期と10日ずつずらして3班に分かれて取ることになっていますが,私の所属する第2部では今年は後期に当たっていて,8月11日から月末までが休廷期間でした。この間に「在宅研究日」を5日間取ることができ,自宅で起案することも許されます。これに合わせて有給休暇を10日間取りますと,ほぼ3週間登庁せずに神戸の自宅にいることができるわけです。今年は,盆過ぎから帰ってたっぷりと孫たちと過ごしたり,オリンピックを楽しむことができました。

 一昨年は前期,昨年は中期で,すぐに神戸に帰りましたので,今年初めて8月6日を広島で過ごすことになりました。聞いたところによりますと,以前はたとえ開廷日でもこの日は裁判を入れないことになっていたようですが,最近はそのようなこともなく,通常どおり入れているようです。ただ,幸い,第2部では当日が休廷日であったこともあり,原爆慰霊祭に参加してみようと思い立ちました。

 さて,8月6日は朝からすばらしい好天でした。午前8時の開会に間に合わせるべく,7時半ごろ官舎を出て,徒歩で20分くらいのところにある平和記念公園に向かいました。すると,途中の何カ所かで,規模は小さくても宗教関係者などによる集会が催されているのが目に入りました。私は,慰霊祭は1か所でしかされないものと思っていましたので,意外に感じると同時に,広範な広島市民の心に原爆で亡くなった方に対する慰霊の心が生きていることを強く印象づけられました。

 原爆ドームにさしかかりますと,道路はすごい人で,街の様相も普段とは変わっており,同じ広島市とは思えないほどでした。いろいろな団体がビラを配ったり,ハンドマイクで演説をしていたり,読経をしていたり,また,警備の警察官等も多数配置されていました。公園に入ろうとしますと,ロープが張られていていつものようにはいかず,随分遠回りすることになり,結局着いたのは8時少し前くらいになってしまいました。何とか司会席が見える場所に立ちますと,すぐに式が始まりました。後で知りましたが,参加人数は約4万6000人とのことで,外国人も数多く目につきました。

 ずっと早足で歩き通しだった上に日の当たる場所に立ち止まってしまったため汗だくになっていましたが,式が始まったので動くわけにもいかず,その場で原爆投下時である午前8時15分に合わせて黙祷を行いました。続いて,秋葉広島市長の「平和宣言」を聞くことにしました(私が任官するに際しまして,会員の皆様から多額のお祝い金を頂きましたが,その一部を広島市の被爆者援護基金に寄附しましたところ,同市長から感謝状を贈られたこともあり,どのような宣言をされるか興味深く聞きました。)。すると,アメリカ合衆国追随を国際施策の基本としている小泉首相が出席しているにもかかわらず,現代の地域紛争において実際に使用できる小型核兵器を開発しようとしているアメリカを真正面から非難する内容で,市民から盛んな拍手が起こりました。歯切れも良く,内容も充実したものでしたが,私としては第1回原爆慰霊祭において読み上げられた平和宣言を併せて読み上げてほしいような気がしました。その後,たくさんの鳩が大空に放たれましたが,このようなシーンを見るのは本当に久しぶりでしたので感動しました。

 それから各関係者の挨拶が続いたわけですが,最も印象的だったのは,普段(内容はともかくとして)大きな声ではきはきと演説をする小泉首相が,別人かと思われるほどボソボソと聞き取れないような小声で,用意してきた原稿を読み上げただけで壇上からそそくさと降りてしまったことでした。そのためか,私のいた場所の後方から「聞こえへんぞ!アホウ!」とか「それでも首相か!」などと怒声が飛び,警備の職員が一斉にそちらの方向に走っていったほどです。さらに驚いたのは,小泉首相の挨拶に対して,4万6000の会衆のだれ一人として拍手をしなかったことでした(もちろん,その他の県知事とか,国連の代表者とか,児童代表者に対しては盛大な拍手が湧き起こりました。)。それにしても,政治的には保守的地盤を持つといわれている広島市におけるこの現象はどう理解すべきなのでしょうか。

 ひろしま平和の歌の合唱を最後に式典は45分間で終わりましたので,私も公園を出て,汗を拭いながら裁判所に向かいました。

 今なお市内の各所には,原爆投下時の写真がモニュメントとして設置されていて,それらを見るたびに平和の尊さが思い起こされますが,国際紛争解決のための戦争と戦力放棄を掲げた現行憲法の価値を改めて感じさせられた一日でした。


(平成16年9月)