私は,かなり以前に,ある家庭裁判所調査官のすすめを受けて居合道を習い始め,前任地まで断続的に練習を続けてきました。裁判官で居合の道に足を踏み入れる人は少ないため,日本居合道連盟の名誉三段(実力とは全く無関係です。)の免状をいただいております。
居合道は,武士が戦場や日常生活で不意の攻撃を受けた場合に対応するために考え出された剣術です。時代劇に登場する見世物の居合い抜きとか抜刀術は,早さのみを競っている点で居合とは根本的に異なります。武士が刀を携帯して普通に座っている場合,歩いている場合,甲冑に身を固めて床机に座っている場合,極めて狭い場所にいる場合等武士が日常的に遭遇するあらゆる場面で,敵の攻撃が,不意に正面,背後,左右からあった場合などを想定し,相手の攻撃を避けつつ最も効率的に相手に致命傷を負わせる方法を考える,というものです。そのため後で述べますように,刀を抜く速度を故意に遅くする場合も多いのです。
また,あくまで防御的対応が主ですから,互いに武器を向け合って戦う剣道等とも異質のもので,私は剣道を全くした経験がありません。ただ日本刀を持って戦うという点で剣道とは連続性がありますから,剣道の各流派には付属の居合道がありますし,日本剣道連盟制定居合というものも存在していますが,現在の居合の主流は,16世紀に林崎甚助重信が創始し,剣道各流派とは独立して発展した夢想流の系列のようです。
この居合道のおもしろさは,徹底した合理主義を貫くところにあります。普通の対応では間に合わないような不意な攻撃があった場合,重い刀をどう使えばよいかを一切の虚飾や形式を排して考えられているのです。
例えば,@互いに座って礼をしている場合に不意に先制攻撃を受けた場合,A雑踏で刺客に狙われた場合,B多数の人間に一度に襲われた場合,C群集に石を投げつけられた場合等に,仮に皆さんが武士であったとしたら,どうしようと考えるでしょうか。
居合道の場合,正解は,@礼をしている時点から相手がかかってくることを予測し,相手に悟られないように密かに構えておく,A刀の刃を自分の方に向けてかかえ込むようにして群集に傷を負わせないようにし,群集に中に駆け込んで身の安全を守り,その雑踏を出たところで相手に反撃する,Bともかく大勢が一度にかかってこれないような狭いところに逃げ込む,あるいは全力で走って逃げ,追いつく者から一人ずつ勝負する,C群集に石等で狙われたら刀では到底勝てないため,できるだけ敵意を持たれないように,素人相手に刀を極力抜かない,あるいはことさら平和的に振る舞う,というものです。
居合道が,ひたすら自分の命を守るためにどうすれば良いかについてのみ考え抜き,形式や格好などは一切捨て去っており,いわゆる武士道の世界とは全く異なるものであることがおわかりいただけると思います。
私の考えでは,武士の実際の生活は,居合道の世界に近かったと思っております。
すなわち武士は日本刀の力と限界を知っていたが故に,普通の社会生活ではめったに刀を抜かなかったのです。日本刀は,軟鉄と鋼鉄を張り合わせた構造であるため切れ味と耐久性にすぐれている反面,自在に振り回すには重すぎ大勢に一度には対応できない,長さに限界があるため広い場所では槍や長刀,飛び道具などにはかなわないという限界があり,どんな名人であっても無用な争いは避けるのが賢明であったと思われます。そのかわり攻撃を受けた場合には,どのような手段を使ってでも必ず相手を倒すという必殺精神を持っていました。
別な表現をすると,居合道の達人は,人を全面的には信用せず,常に前後左右の殺気を警戒しながら日常の起居をし,しかも相手にそのような警戒心を悟られないようににこやかに生活する,というややうんざりするような性格をもっているのです。
正義とか自己犠牲を内容とする武士道精神とはほど遠いこのような状況が本当に武士の生活に根付いていたかについては保証の限りではありませんが,もし皆さんが同じ中世の生活環境におかれたとしたら,似たような発想にならないでしょうか。
ここまで書きますと,皆さんの中には某Y判事の丁寧なようで荒っぽい訴訟指揮と関連があるのではないかと感じられる方もあると思いますが,某Y判事のためにあえて弁解すれば,そのような訴訟指揮は某Y判事の底意地の悪さのあらわれではなく,居合道という日本古来の正式な古武道精神に沿ってやっている由緒正しいものということになります。某Y判事の表面的なにこにこ顔にだまされようでは少なくとも居合道の達人にはほど遠い,というわけです。
さて,居合道の練習はどうするかといいますと,かなり広い場所を確保し,真剣または模造刀を用いて序破急の呼吸で行います。最初の鯉口を切るときはできるだけ相手に構えを悟られないように特にゆっくり動作(序)をし,途中から一気に抜きつけ,その際は相手の気勢をそぐように大げさにし,場合によっては奇声を発して脅し(破),相手がひるんだ隙に一気に相手の最も弱い部分,目,首の線,胸から胃にかけた線を斬りつける(急)という動作を,相手の攻撃パターンの変化を予想しながら繰り返し練習します。
もちろん,敵の存在は仮想して行うもので,練習は一人で行うのですが,全国大会などでは,名人クラスが,刃引きの刀(鉄製ではあるが刃がない)を用いて勝負する場面の紹介がありまする。実際に刀が打ち合って火花を散らす迫力はすごいものです。ただし必ず医者と看護婦が控えておりますが。
私も熱心に練習していたころには,自宅で刀を振り回して蛍光灯を切ってしまったり,誤って爪を切ってしまったりしたこともありました。生兵法は怪我のもととはよくいったものです。
以上,私の理解している居合道の概要を紹介させていただきましたが,われわれ法律家は日常的に正義,平等,公平というような抽象的概念を振り回すことが多いのですが,訴訟という人間関係のもつれを考えるについて,そのような抽象的概念が本当に役立っているのか,もっと非情ともいえる現実に即して考える発想を見直す場面があってもいいのでは,と思っている人間の牽強付会の文章と思ってご容赦下さい。
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