● 同級生Kのこと
伊東 武是 
夕焼けをバックにした木立  四十年も昔、私が四国の片田舎の中学三年生のとき、校内で、同級生が同級生をナイフで刺して死亡させるという不幸な出来事があった。犯人の同級生は、小学校の五年と六年を私と同じクラスで過ごしたKであった。

 極貧の家庭に育ち、小学校時代はそうでもなかったのに、中学に入り、当時よくあったパターンの一つとして、いっぱしの不良となっていた。持ち歩いていたナイフをいちゃもんをつけた相手に示しているうち、腹を刺してしまったらしい。もちろん、Kは少年院送りとなったが、その後も、非行は収まらず、十代の後半ではやくざ組織に入ったとの噂も聞いた。

 私は、大学のころ、郷里に帰った折に、裁判にかかっている彼のために、国選弁護人の事務所を訪ねて何かをお願いしたことがある。また、刑務所に入ったKを、同級生二人で慰問と激ましに行ったこともある。

 若者らしいヒューマニズムのまねごとであったろう。それでも、私には、彼の非行と転落は、山奥の傾きかけた一軒家で家財が何もなかったという母子家庭の貧乏が原因に思われ、彼を強く責める気持ちはついに持てなかった。

 裁判官になってから、郷里に帰ったとき、Kと街中でばったり出会い、お供の子分ともども仁義を切られたのには参った。

 その後、年月が経ち、四十の半ばになった私は、郷里の友人からKが惨殺されたという話しを聞いた。酔って寝ているときに、彼がヒモのようにつきまとっていた女性から絞殺されたというのだ。郷里のどこに行っても彼の悪い噂は聞えて来たが、哀れな末路だとしばしの感慨を禁じ得なかった。

 この話しには続きがある。私は、数年前、関西の裁判所で、ある傷害事件を担当していた。短気ですぐに刃物を持ち出す癖のある被告人が、反省の弁を述べ、刑務所に行き、今度こそ立派に出直しますとしんみりと語った後、ふと「裁判官、私のこれまでの半生記を書いたものがあるのですが、読んでいただけないですか。」という。私は、断ることもできないので「いいですよ。読ませてもらいます。」と軽く答えてしまった。

 その数日後、手書きの原稿がびっしり詰まった段ボール一箱が判事室に届いた、これには驚いた。こんなに一杯かとしばしうんざりしたが、約束した手前、全く読まないわけにはいかない。分量にして、山崎豊子「沈まぬ太陽」全五巻に匹敵するくらいはあったろうか。

 何十冊にも分冊した一冊目から手にとって読み始めると、字がきれいで読みやすいのだ。文章もしっかりし大変にうまい。おそらく沢山の小説を読んでいたのであろう。見事な筆致で彼の半生をつづり始めている。

 九州の極貧の家庭、幼児期の母親の失踪、小学生時代のいじめのくやしさ、貧乏の悲しさ、一人の教師の優しさ。思わず引き込まれていく。中学を卒業し、集団就職、挫折、母親との再会、不良交遊、やくざへの道、一生を貫くことになる一人の女性との熱烈な恋愛、まさに大河ドラマを読まされるような半生記なのである。

 私は、ほぼ四、五日かけて全部読み終えようとしていた。その終章近く、悲しいことに、信頼していた兄貴分に卑怯な手であの最愛の女性を取られてしまうのだ。彼はやくざに失望し組を出た。

 その最終章で、なんと驚いたことに、Kが登場するのだ。Kは四国で女性に殺されたというが、Kほどの男が隙を見せて女性に殺されるはずがない。利権を巡る争いが絡んで殺されたのだ、という。その殺害に兄貴一派の企みがあるとまで書いているのだ。思いもかけぬKの登場と彼のいう「真相」に頭がくらくらときた。

 判決の日、私は、読み終えた感動を表すうまい言葉が見つからぬままに「読ませて貰ったよ。心に染み、感じるところが多かった。」と短い感想を彼に伝えた。後で、もっと沢山励ましてあげればよかったのにと悔やんだ。それでも、彼の顔にほっとして少し嬉しそうな表情が浮かんだように私には思えた。

 今頃、あの被告人はどうしているだろう。もうとっくに刑期を終えているはずだが。