● 「逆転無罪の事実認定」を読んで
2012年10月1日
ムサシ(サポーター)
1 標記の本(原田國男著,勁草書房,2940円)を読んだ。とても面白く,総論部分は引き込まれるように一気に読んだ。事例部分はまだ少し残っているが,読了を待ち切れず感想を書くことにした。刑事裁判に関与している法曹,特に若い裁判官には是非読んで欲しい本である。わが国の刑事裁判に大きな影響を与えるのではないかという気がする。刑事裁判の現状を憂えている法曹,特に弁護士は多い。そしてこの本を読むと,日本にもまだこのような裁判官がいるんだなという思いがした。刑事訴訟法が期待している,本来あるべき刑事裁判官像を頑固に追い求めた結果だということであろうか。多くの刑事裁判官が裁判官像として参考にして欲しい気がする。もとより他にも優れた多くの刑事裁判官がおられることは承知している。
2 かつて昭和60年(1985年)に,刑事法の大家であった平野竜一元東大教授が,わが国の刑事裁判は「調書裁判」であるとして,「わが国の刑事裁判はかなり絶望的である。」(団藤重光博士古稀祝賀論文集)と書かれた。そしてその後のわが国の刑事裁判は,平野教授が嘆かれたとおりの経過をたどったと言ってよいと思われる。しかし調書裁判の点はともかくとして,絶望されていた平野先生(故人)に,「日本にもこのような裁判官がいるんですよ。」と申し上げたい気がする。
3 著者は約40年の裁判官人生をほぼ一線の刑事裁判官として過ごしてきたとして,裁判官の仕事の厳しさや刑事裁判における「正しい事実認定」の難しさ,えん罪を生むことの恐ろしさを述べている。裁判官としての定年前の約8年間に,東京高裁の刑事部裁判長として20数件の逆転無罪判決を言い渡したという。1件ごとの事件を丁寧に審理した結果に過ぎないそうで,無罪判決を書くために,意識的に頑張ったというものではないようである。しかし問題の根深さにたじろぐが,自分も逆転無罪の判決を受けたこともあるし,無実の者を有罪にしている可能性もあるとして,後輩裁判官や検察官に対する批判は控え目である。
4 著者は,えん罪を防止するためには公平な刑事手続きが大切であること,丁寧に審理すること,疑問を放置しないことなどを述べている。そして「疑わしきは罰せず」の原則に忠実であろうとしているようである。「審理を尽くすこと」が刑事裁判に求められている役割であるとして,逆転無罪の場合にも,不意打ち的に無罪判決を宣告するのではなく,検察官に補充立証を促すのだそうで,そうすると裁判所と検察と弁護人が一体となって真実を究明することになり,逆転無罪はその結果に過ぎないというのであるから面白い。そうなると,検察官控訴もないという現象を生じるのだそうである。
5 著作の中で,興味深く記憶に残った点のごく一部だけ書いておきたい。
(1)えん罪を防ぐ審理のあり方について,一審の裁判官(裁判長)として種々の工夫を書いていて,それぞれに面白いが,特に面白いと思ったのは,著者は一審の手続きの冒頭で,被告人に黙秘権等の権利を告知する際に,次のようにいうのだそうである。「君が犯人でないときには,必ずこの機会にいいなさい。今いわずに,後になって控訴したり,上告して,じつは自分は犯人ではないといっても,今の裁判所ではまずは救ってもらえない。」と。
   なるほど,これは名案かも知れない。もっとも著者の部で指導を受けた司法修習生が,その言い方が気に入って模擬裁判でまねたところ,指導官から注意され,著者がやっていると反論したところ,結局指導官が黙ってしまったという顛末も面白かった。
(2)判決の宣告について,「判決の宣告でいちばん心に重いことは,真実を知るものが神様のほかにいることである。まさに,目の前の被告人が,判決が正しい判断であるか否かを知っている。」「もし本当は無実なのに有罪とするのであれば,その瞬間,真の犯罪者とすべきは,被告人ではなく,裁判官自身なのである。」という。
(3)現在の控訴審は,否認事件であっても,被告人質問も証人尋問もしない審理方式が主流である。これは刑事控訴審が事後審査審といって,原判決の時点で,原判決で取り調べた証拠(旧証拠)により,原判決の当否を審理するというもので,原審で取り調べられなかった証拠(新証拠)は,やむを得ない事由により請求できなかった場合か裁判所が職権で調べる場合にしか採用されないことになっているためである。
   しかし著者は,被告人の声を直接聞き,話を効くのは大切であり,控訴審でも事実取調べを適切に行うべきと主張する。これは刑事控訴審が誤判防止の機能を果たすためにも重要であるに違いない。
(4)著者は,元刑事裁判官として著名な木谷明元判事の言葉にも触れて,「被告人がいうことは本当かも知れないと一度は考えること」の意義を強調している。これも誤判防止に役立つということのようである。
6 著者は,えん罪を見抜くのは総合的な人間力であるとして,広い教養が大切であり,そのための読書の重要性を主張し,刑事裁判の魅力として,じつにさまざまな人間や,その人生に接することができることを挙げている。また刑事法廷において予期せぬハプニングや人生のドラマが起きることや,法廷でのユーモアなども書かれている。
7 思い余って,筆足らずとでもいうのか。この本の魅力を十分には紹介できていないと思うので,ぜひ手に取って,「はしがき」を読んで頂きたい。きっと私と同じように全文を読んでみたいと思われるに違いない。


(平成24年10月)