● 「検事失格」を読んで思い出したこと

白山次郎

 法曹関係者のブログで評判になっていた,市川寛著「検事失格」(毎日新聞社)を読みました。
 私は,以前,A庁といわれる大規模庁に対応する裁判所で,令状事務をしていたことがあるのですが,その時の検事さんたちとのやりとりを思い出し,検察庁という「組織」や検事という「人」について再び考えさせられるところがありました。
 当時,勾留や接見禁止,勾留延長などの請求に関して,担当検事と直接,話すことも多かったのですが,どの検事さんも忙しそうなうえ,中には極端に不機嫌な方や驚くほど横柄な方もいて,大変でした。
 ある事件の接見禁止請求について,その必要性に疑問を感じたので,担当検事に電話をしてみたのですが,電話に出た女性検事とは全く話がかみ合わないばかりか,ついには「おたくのような簡裁判事は,公判なんてほとんど知らないでしょうけど,(被疑者が)公判で否認に転じたらどうしてくれるんですか,責任とってくれるんですか!」と居丈高に言われ,ずいぶんと失礼な人だなと思いつつも「公判で否認に転じただけで無罪になるような事案なんですか?」と尋ねると,「そうなんですよ,公判で否認すると被告人の言い分を鵜呑みにして簡単に無罪にしちゃうような○○な裁判官だっているじゃないですか!まったく・・・○×△・・・☆!×・・・。」と後は延々と愚痴と悪口を聞かされてしまいました。きっと,この女性検事も,市川元検事と同様,検察庁という「組織」で仕事をしていくうちに「改造」され,ストレスが溜まっていらっしゃったのでしょう。接見禁止をつけてもらわないと(担当検事である私が)困るという論法一本槍でした。「接見禁止にしないと検事さんもお困りでしょうが,接見禁止は被疑者の自由に対する更なる制約であって,被疑者はもっと困るんじゃないですか。」と私がいうと,その女性検事は「(被疑者は)悪いことをしたのだから,当然でしょ。私の立場も考えてください!」と言われ,びっくりしました。私は「まあ,裁判官がすべて検事さんと同じ目線,立場で仕事をするのであれば,令状なんて必要ないはずでしょう。検事さんのお立場,お考えはよく分かりましたが,私も,裁判官の立場で仕事をさせていただきますので,私の判断に不服があれば,法律に従った措置をとってください。」と言い残して,丁寧に電話を切りました。もっとも,かくいう私も,受話器を置いた後,その電話機に向かって,裁判官らしからぬ言葉を浴びせかけ,周りにいた方々を驚かせてしまいました。
 一方,公的資金をめぐる大がかりな不正受給(詐欺)事件で,名義を貸した人が次々に逮捕・勾留された事件がありました。被疑者は数十人に及んでいたと思います。検察官は,組織犯罪であるという理由で,全員に一律,接見禁止を請求していたのですが,私は,うまい話に乗っかって,名義を貸した末端の人については,むしろ組織に利用されたに過ぎないのであって,接見禁止の必要性がないということで,簡単な理由を付して請求を却下しました。当然,準抗告があったのですが,幸いにも私の判断が維持されました。しかし,同種事件で後から逮捕・勾留された被疑者にも相変わらず接見禁止の請求があり,私は,前回の理由にさらに加筆したうえで,再び請求を却下しました。それについては,準抗告はありませんでした。その後,同種事件について接見禁止の請求はされなくなったので,ちょっと気になって,勾留延長の際に担当検事に「そういえば,最近,この件について接見禁止の請求がありませんが,何かありましたか?」と尋ねてみました。担当検事からは「いや〜,裁判官の書かれた理由を部内で協議をした結果,このケースでは,今後,接見禁止は請求しないことになりました。お手数をお掛けして申し訳ありませんでした。いい勉強になりました。」と言われました。私は,いつもやり合ってる検事さんから,そんなことを言われるとは思ってもみなかったので,不意を突かれた格好で「あっ,そうでしたか・・・」としか言えませんでした。しかし,電話を切った後,まるで学生の頃のクラブ活動で,普段は,怒られてばかりの怖い先輩から思いがけず「ナイスプレー」と優しい声をかけてもらったような気分で,じんわりとうれしさが込み上げてきました。その日は鼻歌気分で,大量の事件記録が机の上に積み重ねられても,一人ニヤニヤしていて,記録を運んできた書記官から「今日はずいぶんとご機嫌ですね」と言われてしまいました。今から考えると,私がした却下で検察庁の方針が変わるなんてことはなく,接見禁止請求をしなくなった本当の原因はきっと他にあって,担当検事にうまくおだてられただけなのかもしれません。ただ,私の中では今でも良い思い出として残っています(ほんと,おめでたい人)。

(平成24年4月)