● 傾聴の大切さ

白山次郎

 先日,私が講師となり,調停委員の皆さんに対してお話をする機会がありました。
 経験の浅い私が一方的に話をするよりも,調停委員の皆さんの豊富な経験をいろいろとお話しいただいた方がよい勉強になると思い,積極的に対話をするよう心がけて,講義をしました。そこで,多くの調停委員の方が仰られたのは,当事者の話を聞く,「傾聴」ということの重要性でした。私も,裁判官となり,法廷や和解の席で当事者と向き合った際,痛切に感じたのはこの「傾聴」の大切さであり,調停委員の方々のお話は,大変,参考になりました。

 私は,自分の思ったことや考えたことを表現することにばかり熱心であって,人の言うことを聴くのが実はとても苦手です。学生時代などは,他人と論争すると,人の肺腑を突くような言葉を畳み掛け,相手を黙らせて,得意になっていました。人の話を聞いているうちに,結論が見えてしまい「要するに,・・・ということでしょう。」と言ったり,結論に対して先回りして反論を加えたりしてしまうのです。そのため,私生活において誤解されたることや,職業生活においてもトラブル・摩擦が多く,先輩や友人からはたびたび注意を受けていました。私にとって「傾聴」は,自分の考えを人前で話したり,文章を書く以上に難しいことでした。私が裁判官になる際,一番気がかりだったのは,どうしたら,自分の悪癖を封じ込め,人の話をきちんと聴くことができるかということでした。

 西ドイツの童話作家ミヒャエル・エンデが書いた「モモ」という童話をご存知でしょうか。
 それは,モモという名前の小さな女の子が,人々から時間(=命)を掠め取る時間どろぼうと戦うという,現代社会を風刺したお話です。そのお話の主人公であるモモは,ほとんど口を開くこともなく,ただニコニコと笑っているだけの女の子なのですが,ある不思議な能力を持っています。それは,人の話がちゃんと聴けるという能力なのです。モモ自身は,無口でちっぽけな女の子に過ぎないのですが,彼女は街の人々からは愛されていて,何か悩みがあったり,困ったことがあると人々は皆,モモのところに行って話をするのです。モモ自身は,小さな女の子に過ぎず,そうした悩み事や困ったことを解決する能力はないのですが,人々はモモに話を聴いてもらうことによって,自分自身の中にある「答え」を見つけ,再び元気を取り戻すのです。

 私は,恥ずかしながら,この素晴らしい童話を子供の頃には読んでおらず,結婚後,妻に勧められて読みました。私は,一読して,このモモの不思議な能力に魅せられてしまいました。当時,私たち夫婦の間にはようやく小さな命が芽生えていました。私は,生まれてくる娘に,このモモの不思議な能力が授けられ,そして,自分の悪癖を封じ込めることができるように願い,この童話の主人公にちなんだ名前をつけました。

 それから13年。私は,娘の名前の由来を忘れたことは一度もありません。時折,娘の名前を呼んで,ふっと自分の悪癖を思い出し,冷や汗の出ることがあります。裁判官になった今,法廷や和解の席で,当事者,代理人の話や態度・姿勢などに対してイライラしたり,話をさえぎって自分の考えを話したくなることが全くなくなったわけではありませんが,おかげで以前よりは随分と人の話が聴けるようになりました。もし,私にモモと同じ能力が備わったならば,私に法曹としての十分な能力がないとしても,双方の当事者・代理人が,私に対して,それぞれの主張を述べていくうちに,双方の心の中にある「答え」がおのずと一致し,紛争は止み,判決などせずとも,正義・衡平に適った合意による解決,すなわち「和解」ができるようになることでしょう。しかし,残念ながら,その領域には達するのは夢の中だけです。現実の世界では,せめて,当事者の話にしっかりと耳を傾け,事実はどうであったのか,その人が本当に望んでいことは何か,法とは何かを理解できるよう,ずっと研さんを重ねてゆきたいと思います。

 「ただ一人の声であっても,真摯に語られる正義の言葉には,真剣に耳が傾けられなければならず,そのことは,我々国民一人ひとりにとって,かけがえのない人生を懸命に生きる一個の人間としての尊厳と誇りに関わる問題であるという,憲法の最も基礎的原理である個人の尊重原理に直接つらなるものである。」(司法制度改革審議会意見書より)


(平成24年4月)