● あるカンニング事件
2012年2月1日
白山 次郎
 それは,中学3年生の1学期,期末試験最終日の出来事であった。
 最後の科目のテストが終わり,開放感に浸る私たちは,なぜか全員,体育館に集合させられた。ワックスの匂いのする体育館の床に座らされ,戸惑う私たちの前に,学年主任のI先生をはじめとする担任の先生全員が並んで立つと,おもむろにI先生がマイク片手に話し始めた。
「昨日の数学のテストの際,6組で大規模かつ組織的な不正行為,カンニングがあった。お前たちの仲間がやったことであり,学年全体に責任がある。連帯責任である。よって,明日,数学の再試験を行う。」
 生徒全員がどよめく中,I先生はいつになく真剣な表情で話を続けた。
「今回の再試験は非常の措置である。今回のような事件が公になり,新聞に載るようなことがあれば,諸君らの高校受験には大きな支障となる。特に私立高校の受験には大きなハンデとなる。皆,速やかにこの措置に従って欲しい。」
「今回の措置について,塾で話をしたり,他校の生徒に話さないように。」
 剣道5段,古武士のような風格のI先生の話し方があまりにも深刻なので,蒸し暑い体育館の中は水を打ったように静まり返っていた。
 私は,今回の数学の試験には手ごたえを感じていたので,最近の若者言葉でいうと「え〜,マジかよ〜」という気持ちであった。そして,この措置はどこかおかしい,道理にかなっていない,割り切れない,不合理だという考えをぬぐい切れなかった。
 体育館から教室に戻る途中,友達どうしでこの措置の不当性について,声を潜めて話し合った。
 教室に戻ると,簡単なホームルームで明日の予定が発表され,他のクラスは次々に下校していったが,私はこの措置にまったく納得ができず,クラス委員長に対して,クラス討論をして,再試験をやめるよう職員室に言いに行こうと提案した。当時のクラス委員長は,私たちのグループが勝手に押し付けた,勉強はできるが気の弱い,いい子ちゃんだったが,この件に関しては彼もまったく私たちと同意見であった。
 そして,ホームルームで議論がなされ,全員一致で再試験反対が決議された。この件に関しては,勉強ができる・できないに関係なく,不良グループも良い子たちも全く利害が一致したのであった。
 クラス委員長が,わがクラスの再試験反対決議を担任の先生に伝えると,先生が飛んできた。そして,この件についてはもう決まったことだから,議論をする必要はない!他のクラスは皆,とっくに帰って明日の試験に向けて勉強しているぞ!お前たちもさっさと帰って勉強しろ!と一方的に告げて,教室を出て行ってしまった。
 こうなると,もう収拾がつかない。日頃から担任の言動に不満を持っていたクラスメイトはいきりたち,めいめいが担任を非難し,口々に今回の再試験の不当性を主張する。騒然となった。
 議論の末,私は,クラス委員長に「再試験反対では手ぬるい,ボイコットしよう。私たち5組は全員,明日の再試験は受けない,その間,自習すると先生に言って来い」と提案した。皆,口々にそうだ,そうだ,ボイコットだ,それがいいと賛同する。
 さすがに,良い子のクラス委員長はそこまでするのはどうかと渋っていたが,私たちの熱気に押され,また,職員室にそれを伝えに行った。
 しばらくすると,クラス委員長が,生活指導の先生と担任,副担任の3人に囲まれ,悄然として戻ってきた。生活指導の先生はものすごい剣幕で,竹刀を片手に「お前ら,どういうつもりだ!誰が言い出した!そんなことをすれば全員,零点だ!」と教室中に響き渡る大声で,怒鳴った。
 みんなが恐れる強面の生活指導の先生の怒声に,クラス全員が凍り付き,テンションが一気に下がった。しかし,私は,常日頃なにかと世話を焼いていたクラスの不良グループに予め因果を含めておいたので,後ろを振り返り,「お前ら,出番や,いけ!」とそっと耳打ちした。
 「なんやと〜,おら〜」「零点,上等!」と剃り込みを入れたヤンキー,不良グループ4,5人がガタガタと机を乗り越えて教壇に詰め寄る。先生方が身構える。教壇の前で一触即発の緊張状態である。私は自分の演出どおりに,不良グループが動いてくれたことに少し胸が熱くなった。
 私は,自分の脚本どおり,自分が焚き付けた不良グループを「お前ら,やめとけ!」と一喝し,返す刀で先生方に向けて,落ち着いた声で「先生,僕たちは単に話し合いをしているだけですよ。再試験が道理に合わないと思うから,言っているんです。先生方は常々,話し合いが大切だと言っているじゃないですか。」と申し向けた。言い出したのは何を隠そう自分なのだ。このままでは,自分が生活指導を受ける羽目になる。
 クラスの何人かが「そうだ,そうだ」「話し合いですよ」と同調してくれる。ヤンキーたちが席に戻る。まるで古臭い青春ドラマのワンシーンのようだが,先生方も少し落ち着いてくれたようだ。
 そして,先生たちとの話し合いが始まった。
 私は,まず,先生たちに自分たちの意見を聞いてほしいと頼み,それにしたがって,クラス全員がこの件に関して,各々,意見を述べていった。
 私たちが意見を述べているうちに,不審に思った先生たちが次々に職員室からやってきて,教壇や黒板の前に並び始めた。学年主任のI先生もやってきて,教室の入り口にパイプ椅子を置き,腰を下ろす。教室の後ろの出入り口も他の先生が固める。まさに完全包囲の状態である。
「だいたい,カンニングをしたのは6組なのに,どうして,他のクラス全員が再試験を受けなければならないんですか?」
「自分たちはきちんと試験を受けたのに,なんでもう一度,試験を受けるんですか?」
「前のテストより悪かったら,どうなるんですか?」
「良い方の点数にしてください。それか平均でお願いします。」
「学年全体の責任ってどういうことですか?」(俺ら,何も悪いことしてねぇーぞの声)
「カンニングをした子を0点にすればいいのに」
「そうだよ。カンニングをした奴を0点にすればいいんだよ。それなのに,なんで,再試験をボイコットしたらこっちが0点になるんだよ!わけわからんぞ!」
「6組のカンニングをした子たちも一緒に再試験を受けるんですか?それってずるくないですか?」
「よーわからんけど,もう一回テストなんて嫌や!」
「今日の試験のために徹夜で頑張ったのに・・・,明日も試験なんてもうムリー,だる〜い」
「高校受験で不利になるってどういうことですか?」
「あの〜,うちのクラスでもカンニングしてた人がいます」(えっ〜という驚きの声と,不良たちのお前,余計なこというなよの声)
「私は私立希望ですけど,今回の事件で受験できなくなるんですか?」
「俺は,昨日の数学はあんまりやったから,また,テストを受けれてラッキーかも。点の良い方を選べるのならいいかな・・・」(え〜と皆からブーイング)
「どうせ,先生のお気に入りがカンニングしてたんだ,だから再試験にするんじゃないの?先生はいっつもひいきする,差別だよ,差別。俺等だったら,一発でアウトだよ。」
「私は,・・・・バカだから,難しいことはわかんないけど,・・・なんか変だと思います。」
「6組のテストを監督していた先生は誰ですか?」(Mだよ,Mの声)
「なんでちゃんと監督していないのですか?」(そうだよ,なんで6組のカンニングと俺らが関係あるんだよ〜の声)
 皆,めいめいに自分なりの言葉で,自分の意見や疑問を口にする。
 そして,先生方もそれぞれ私たちを説得しようと代わる代わる話をする。建前しか言わない先生もいたが,私たちに同情する先生もいたり,口ごもりながらも本音を語る先生もいて,それなりにこの問題について自分たちと真剣に向き合ってくれている感じであった。
 私たちは独自の口コミで,カンニングのあった際の6組の試験監督は,Mという,家庭科のぼんやりとした中年の女性教師であることをつかんでいた。その先生は,生徒たちになめられていて,半ば公然とカンニングが行われたようなのである。
 後から騒ぎを聞きつけてやってきた管理教育の権化のような社会科のS先生は,真っ赤な顔で,それこそ青筋を立てて,
「お前たちのやっていることは,教師に対する反抗だぞ。教師がテストをするといえば,生徒は黙ってそれを受ければいいんだ。それに,そもそも,試験監督の先生は生徒のカンニングを見張るためにいるわけじゃないぞ。お前たち生徒を信用しているのだ,それをお前らは裏切った,その上,まだ,こんなバカげたことをしている,それを判っているのか。」と怒鳴る。
 私は,これまた,なぜか冷静で,ゆっくりと立ち上がると,S先生をまっすぐに見つめ,
「先生,議論では大声を出した方が負けですよ。皆,きちんと話をしています。バカげてなんかいません。それに,怒られないといけないようなこともしていません。そんなに,私たち生徒を信用してくれているのであれば,明日の再試験,私たちだけで受けますから,先生は出て行って下さいますか。」と静かに言い放った。
私は,自分が何か役を演じているような感覚であった。
 S先生は「お前・・・」と絶句し,土気色の顔で私を睨みつける。学年主任のI先生がS先生に何事か耳打ちし,S先生は悔しそうに下がった。
 クラス全員が発言し,先生方もおおかた話し終えた後,最後に,私は,当時,流行していた漫才コンビ・ツービートの「赤信号みんなで渡れば怖くない」を引用して,クラスの全員の考えを代弁すべく,次のような演説をぶった。
「今回のカンニングは,クラスぐるみの,大がかりものだったから,再試験になってしまったということでしょう。誰か一人がカンニングしたのであれば,そいつが職員室に呼び出されて怒られるか,0点になっておしまいでしょ。これって,赤信号,みんなで渡れば怖くないってことですか。カンニングもみんなでやれば,再試験にしてもらえるんですか。それなら,明日の再試験で,うちのクラスは全員で(カンニングを)やりますよ。連帯責任というのであれば,クラス全員で教えあって,全員で100点を目指します。こんなことはおかしいです。江戸時代の五人組じゃあるまいし,何が連帯責任ですか。テストは団体競技じゃなくて個人競技でしょ。公民の時間に,憲法上,個人は最大限尊重されるって習いました。他人の罰を受けるのはおかしいです。僕たちに責任があるっていうのなら,先生たちには責任はないんですか。どうなんですか。試験監督をしていた先生や6組の担任の先生を含め,先生たちにも責任があるんじゃないんですか。」
 私の発言に,クラス中が沸き立った。
 黒板の前に並んだ先生方は,一言もなく立ちすくんでいた。学年主任のI先生はパイプ椅子に腰掛け,腕を組んで前を向き,じっと目を閉じたまま,私の話に耳を傾けていた。
 私は,自らの言葉に半ば陶酔し,武者震いがした。
 しかし,憔悴しきった6組のクラス担任のY先生がやってきて,頭を下げると,風向きが変わった。Y先生は今回のカンニングがクラスの大半が関与したものであることを説明し,こんなことになってしまったのも自分の担任としての指導が十分でなかったためであるとし,皆に迷惑をかけることになって申し訳ないと,目に涙を浮かべながら,はっきりと謝罪の言葉を口にした。そして,これからの6組を見ていて欲しい,卒業までにきっと6組をすばらしいクラスにする,同じ仲間として,6組にチャンスを与えて欲しい,頼む,このとおりだと頭を下げた。その上で,Y先生は,もし6組が今のままの状態であったら,自分は先生を辞めるとまで言ったのであった。Y先生は若い体育の先生で,皆の人気者であった。そうしたY先生の言葉を聞くうちに,皆,Y先生の苦しさ辛さを理解しはじめ,このまま自分たちの考えを推し進めるのはまずいと本能的に感じ始めたのである。
 そして,学年主任のI先生が,目を開いて椅子から立ち上がり,カンニング発覚から今回の措置をとるに至った詳しい経緯,職員会議での議論,校長先生や教育委員会とのやり取り,もし,この事件がこれ以上騒ぎになるとどういうことになるか,そうしたことを包み隠さず,私たちに諭すように教えてくれた。そして,最後に,この騒動の首謀者である私に向かい,I先生は「白山,お前の意見が正しいことは,ここにいる皆がわかっている。いや,このIが一番よく判っている。それを承知で頼むのだ。白山よ,わかってくれ。」と手を差し出してきた。
 私は,自分たちを単なる生徒,子どもではなく,対等の,一人前の大人として扱ってくれたI先生の気持ちや,事件をできるだけ穏便に済ませて皆が高校受験に不利にならないようあれこれと考えてくれる先生たちのこと,今回の事件で先生を辞めることまで覚悟して責任を感じているY先生のことなどを考え,これが限界だと思い,遂に,I先生の大きな手を握り返し,握手した。そのあと,学年主任のI先生とクラスの全員が順番に握手をした。
 体育館に集合し,再試験を告げられてから実に5時間近くが経過していた。時計の針は午後7時近くを差し,初夏の夕暮れが校舎を包みこみ,西日が差しこむ教室で,私のクラスで最も長かったホームルームはようやく終わった。(そのとき,私たちのクラスの担任が,この騒動の最中,既に帰ってしまっていることが判明した。すかさず,不良の一人が「この状況で俺等より先にふつう帰るか?速攻やな!さすが(サラ)リーマン教師!」と鋭い突っ込みを入れ,クラス全員で大爆笑した。)
 後日,父が近所の喫茶店でコーヒーを飲んでいると,後ろの席で同じ学年の母親たちが再試験のことを噂していて,「なんでも,先生全員を相手に,赤信号,みんなで渡れれば怖くないと同じことですかって,啖呵を切って一歩も引かなかった子がいたんだって。5組の子らしいよ。」「へぇ〜,嫌な子やねぇ」と言っているのを耳にしたらしい。父と一緒に銭湯に行った時,湯船の中でその話をして,そんなことを言ったのはお前かと尋ねられた。私は,自分のことが噂になっていることに驚きつつも,そうだというと,父はなぜか上機嫌で,風呂から上がった後,珍しくフルーツ牛乳を買ってくれた。
 しかし,私は,この件ですっかり職員室中の先生に名前を知られてしまい,そのあと,卒業するまで先生全員から随分と厳しい視線を受ける羽目になった。特にS先生からは事ある毎に呼び出され,些細なことでねちねちと叱られた。うんざりする私に,母は「馬鹿だね,お前は。もう,そんな余計なことをして・・・」と呆れ顔であった。
 また,2年下の弟は,新しく担任になった生活指導の先生から「お前は,あの白山の弟か!」と言われたようで,「兄貴が好き勝手やるから,こっちはえらい迷惑や」とこぼしていた。
 その後,私は大学生になり,当時の学年主任であったI先生と再会した時,同級生たちとその事件が話題になった。あれはすごかった,白山にはまるで何かが乗り移ったようだった,3年B組金八先生みたいやったと友達から言われ,大笑いしていると,I先生がしみじみと「白山よ,あの赤信号の件な,あれはきつかったぞ。だけどな,あの事件があったから,お前のクラスはまとまったし,6組もちゃんと立ち直ったんだ。Y先生も救われた,俺たち教師も一つになった。ギリギリの選択だったんだ。それに高校受験も結局,あの年が一番良かった。U中学の黄金時代だったよ。あのあと,S先生がな,お前の内申書にひどい点をつけようとしてな。いろいろ大変だったんだぞ。」と笑顔で仰られた。
 私が,法律家になろうと思ったのは,実はこの事件がきっかけである。今から考えると,幼稚な考えであったようにも思われるが,中学3年生という思春期の多感な時期特有の正義感,高揚感があった。
 今でも,当時の教室の風景や友達の声,先生たちの表情を私はありありと思い浮かべることができる。
 お世話になったI先生,U中学の先生方,白山は今,この小さな町で裁判官をしています。



(平成24年2月)