当庁のような僻地の裁判所では,それほど事件もなく,裁判官としてもっとも重要な実務経験を積むことがなかなかできない。視察に来られた所長にそうした悩みを相談したところ,民法(債権関係)の改正作業が進んでいるので,空いている時間にそうしたことを勉強してみてはどうか,今のうちに勉強しておくと,丁度,次の転勤の頃には法案が成立しているだろうから,きっと役に立つ。法案が成立してから勉強しようとしても,今度は忙しくて時間がとれないで困るだろうという有益な助言を戴いた。
そこで,法制審議会のHPに公開されている資料をダウンロードして,一日何ページとノルマを決めて読むようにしているが,なかなかノルマを達成できない。子どもの頃から,勉強などというものは,必要に迫られないとしない性分である。若いころから精進していれば,もっと立派な裁判官になれただろう。通勤途中にあるお寺の正門に,
「しっかりせねばと思いつつ,うっかり過ごすのが人生」
という標語が書かれてあり,思わず,このお寺に行って和尚さんに説教してもらおうかと思ったほどである。
法制審議会の資料を読むと,眠気を催すダメな私も内田貴著「民法改正−契約のルールが百年ぶりに変わる」(ちくま新書)
は一気に最後まで読み通すことができた。
もともと一般向けにやさしく解説した本であるから,当然かもしれないが,非常に読みやすい。それでいて,今回の改正に向けた筆者の並々ならぬ情熱が伝わってくる。
本書を読んでいて,学生時代,民法の講義や学習がどうしてあれほど解りにくかったのか,ようやく理解できた。
民法724条後段の規定を,不法行為による損害賠償請求権の除斥期間を定めたものという最高裁の判例(最判平成元.12.21民集43巻12号2209頁)の問題点は大変,興味深いものであったし,債務不履行責任をめぐる口述試験での試験官と受験生のやりとりも,なるほどなーと感心させられた。
筆者は,現状の民法は実は,読めないテキストであって,経典の内容を庶民が理解できず,仏様の教えはただただお坊様の説法を聞くしかないのと同様,民法自体を読んでも庶民は理解できず,それを理解しようとすれば,お坊様ならぬ法律家に教えを乞うしかないと嘆いている。せめて私が,思わずお寺に入ろうかと思ったほどの先ほどの標語くらいに民法の条文をやさしく改正してもらえればと思う。もっとも,そうなると,法曹人口急増の折り,ますます法律家の需要が減り,仕事を失う法曹(弁護士さん)も出てくるに違いない。民法が普通の人が読んでわかるようなものになれば,別に弁護士先生にお伺いを立てるようなことをしなくて済むようになるかもしれない。
民法改正が,取引社会におけるわが国の国際的プレゼンスを高め,国家成長戦略に寄与することにつながるという点も興味深かった。フランスは自国の民法を輸出品とみており,その品質の向上に努めているそうだ。日本も東南アジア諸国の法制度支援事業を行っている。実は,大学時代の友人の弁護士が,数年前,ベトナムの法制度整備の支援事業に携わった。今回の転勤前に久しぶりに飲みに行き,その時の話を聞くことができた。酔いも手伝って,友人曰く「ベトナムの民法は俺が作ったんや,まあ,俺はベトナムにおけるボアソナードみたいなもんや」と大法螺を吹く。ベトナムといえば,最近,日本企業がたくさん進出している。私は,「おお,それはすごいな。じゃあ,ベトナム民法のことはお前しかわからんやろうから,ベトナムに進出する日本企業はみんなお前のところに聞きに来るんやろ,そんな会社の顧問になれば,大儲けやな,よっ,大先生。悪いなー,今日はこんなごちそうしてもらって・・」と言ってやる。そうすると本人は途端に元気がなくなり「いや,あかんのや,ベトナムの民法はな,日本の民法と同じように作ったんや,だから,別に俺じゃなくても,日本の民法を勉強した奴には簡単にわかってしまうんや。くそぉ,もっとややこしく作っておけばよかった〜」と悔しがっていた。
果たして,民法(債権関係)の改正によって,これまでの判例法理が明文化され,一般の国民が読んで解るような平易な条文となるのか,また,それによって裁判実務はどうなるのか,法律が法曹というエリート集団でのみ共有される言語であり続けるのか,庶民の裁判所である簡易裁判所で働く私にとっても大変,興味深い。
「しっかりせねばと思いつつ,うっかりするのが人生」かもしれないが,このような僻地の裁判所であっても,うっかりと時を過ごすことなく,しっかりと民法(債権関係)改正の動きをフォローしていきたい。
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