● 姉小路祐作の新刊「逆転捜査」(講談社)

瑞月
 当ネットの例会にも来てくださったことがある著者から,表題の新刊を贈呈されて読みました。公訴時効制度の問題点を,実感をもって突きつける力作です。

 粗筋を大骨だけにして紹介すると,以下のとおりです。
 伊東美保子は平成5年8月9日に殺害されたが,捜査は迷宮入りし,15年の公訴時効の満了日である平成20年8月8日(北京五輪開催日)が迫ってきた。被害者美保子の異父弟である迫田健作は検事になり,同五輪開催まで342日という時期(平成19年9月1日ころ)に姉殺害犯人の捜査を再開した。そして,姉美保子が常勤講師として勤務していた私立高校の教頭洞爺忠彦に姉殺害を自白させ,平成20年2月に洞爺を起訴した(公訴時効完成までに5ヶ月を余していたと読める)。
 洞爺は一審の途中から否認に転じたが,一,二審で有罪判決(懲役12年)を受け,上告を取り下げて服役した。その後,姉美保子の教え子だった牛山猛が真犯人であると名乗り出,牛山の犯行を裏付ける証拠が卒業記念タイムカプセルの中から出てきたので,再審が開始され,洞爺の再審無罪が確定した。
 迫田検事は,牛山が公訴時効完成により起訴を免れたため,検察官を退職したうえ,牛山に対し損害賠償請求の民事訴訟を提起することとした。牛山は,実は,洞爺の身代わりに犯人と名乗り出たものであったため,牛山と洞爺は迫田元検事の損害賠償請求に恐れをなし,洞爺は牛山を共犯に引き込んで迫田元検事を殺害した。
 迫田元検事は,自らの身を挺して,公訴時効完成により処罰を免れた犯人を刑事処罰に追い込むため,洞爺と牛山による殺害計画を察知しながら,同両名の手に掛かって殺されたものであり,同両名の犯行であることを示す物的証拠を残して死んだので,同両名は迫田元検事殺害の罪で処罰を受けるに至った。

 実際の刑事手続からすると,少し現実離れした点もありますが,小説ですので,目をつむりましょう。
 ただ,法律論として気になる点がありました。182頁に「平成20年8月に時効完成」とあり,その理由は「洞爺が犯人でない→洞爺に対する起訴は無効→時効は停止しない」としている点です。
 特定の犯罪について起訴があれば,被告人が犯人ではない場合(人違い)であっても,公訴時効は停止する,という有力学説があります【小野清一郎他・ポケット註釈全書(新版)(上)589頁】。
 この有力説によると,洞爺が起訴された日から再審無罪判決の確定まで,時効は停止していることになるのではないでしょうか? 洞爺に対する起訴が平成20年2月だということですから,同年8月8日の時効完成まで5ヶ月間以上の時効期間が残っておれば,洞爺に対する再審無罪判決の確定日を平成22年1月1日とした場合,検察官は同年5月までに牛山を起訴できたということになります。
 この有力学説によると,姉小路さんの小説が成り立ちませんから,「被告人が犯人ではない場合(人違い)は,公訴時効は停止しない」とする学説【前記小野清一郎他・ポケット註釈全書(新版)(上)589頁(2)参照】に立つ必要があります。

(平成22年10月)
(補論)
 上記脱稿後,調査したところ,特定の犯罪について起訴があれば,被告人が犯人ではない場合(人違い)であっても,公訴時効は停止する,という上記の【有力学説】(小野清一郎他・ポケット註釈全書(新版)(上)589頁B参照)は,【少数説】であることが分かりました。
 殺人等の重罪の公訴時効について,被害者遺族からの批判が高まるまでは,「被告人が犯人ではない場合(人違い)は,公訴時効は停止しない」とする学説(松尾浩也など)が【多数説】であって,被告人に有利に解する傾向でした。
 しかし,公訴時効について被害者遺族からの批判が高まった現在では,今回の公訴時効制度の改正が適用にならない古い事件について,公訴時効の完成を狭く解する上記【有力説】が支持を得るのではないかと考えます。
 上記【有力説】の根拠は,刑訴法254条2項が「共犯の一人に対する公訴提起による時効の停止は,(公訴を提起されていない)他の共犯に対してその効力を有する」としている点です。
 これに対し,上記【多数説】は,人違いである被告人と真犯人との関係は,共犯者の関係とは異なるというのですが,検察が被告人を真犯人と見て公訴を提起し,追行している間は,真犯人を起訴することが事実上できないのですから,上記有力説も説得力があると考えます。
 いずれにせよ,姉小路さんの今回の作品で,牛山について公訴時効が完成したとしている構成に,誤りはありませんでした。