新聞記事でよくお見かけする定型文言にひとつに「バールのようなもの」というのがある(最近はさすがにもう殆ど使われないかもしれないが)。「バール」は梃子の原理を利用する工具で釘抜きも含まれ,要するに傷跡などから鋭利でない物で殴られたと判断される場合に多く用いられる。清水義範氏には「バールのようなもの」という著書まである。
その他には,「ほのめかす」供述というのにもよくお目にかかる。これは例えば,A罪で取調を受けている容疑者について,「別のB罪への関与をほのめかす供述をしている」といった形で用いられる。弁護士という職業柄,以前からこの表現が気になって仕方なく,容疑者が往生際悪く「Bもやったかもしれない」ととぼけているかのように,更には「Bもやったと刑事さんがおっしゃるなら,Bも私がやったのかもしれませんね」などと開き直っているような印象を与えかねない無神経な「新聞用語」だと思っていた。そもそも取調室でそのような会話が成り立つとは思えないのだが(少なくとも私が容疑者ならそんなことを口走る勇気はない)。
ところが,そんな愚かな私の蒙を啓いてくれたのは,同期の落合洋司弁護士のブログの以下の記載であった。(http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20080526#1211729497)
「今後の『本件』での再逮捕前に、具体的、詳細な供述を得ている、というのは、種々の意味で問題があるので、警察・検察発表上は、「ほのめかしている」という表現で語られるという場合もあるはずです。」「実際は、徹底的に追及され、ほのめかすどころか泣きながら自白している、ということについて、『ほのめかしている』という表現が使われることは十分あり得ます。」「マスコミは、注目されている点について自白しているかどうか、ということを聞きたがり、その点は公表しても良い、しかし具体的なことは言いたくない、言えない、という状況下で、『ほのめかしている』ということであれば、ほのめかす程度のことをそれ以上は言えない、聞けない、ということにもなって、発表するほう、されるほうにとって便利、ということもあるでしょう。」
何と,この言葉は,マスコミ用語ではなくて,「捜査用語」だったのだ。裁判官8年,弁護士12年(上記ブログ掲載当時)やってそんなことも知らなかったのか,と言われそうだが,本当に知らなかったのである。後に札幌で開かれた「裁判員制度とメディア」についてのシンポジウム(http://media-am.org/?p=83)でこの話を披露したら,やはり誰も知らなかったので,私だけが飛び抜けて愚かなわけではなかったようで一安心した。
上記ブログの「『本件』での再逮捕前に、具体的、詳細な供述を得ている、というのは、種々の意味で問題がある」という意味を簡単に説明しておく。A罪で容疑者の身柄を拘束している場合,容疑者にはA罪に関する取調に応じる義務があるとされている(もちろん反対説もあるし,黙秘権の保障があることは言うまでもない。)。問題は,容疑者に関して,Aと関連性のあるBについても容疑がある場合に,そしてそれが殺人などの重大事件である場合にどの程度の取調が許されるのかであるが,この点は種々議論のあるところである。この辺は玄人向きの話で,簡潔にまとめる能力にも欠けるので省略させていただくが,要するに,当然に殺人事件の取調をバンバンやっていいというわけではないということだけご理解いただきたい。落合弁護士のブログ記載の裏側にあるのは,こうした問題なのである。そして,起訴されない限り国選弁護人がつかなかった従来の刑事事件では,こうした流れの中での自白の任意性・信用性が法廷で争われるケースが多かった。
では,被疑者(容疑者)段階からの国選弁護が始まった現在,上記のような問題は弁護人の監視の下に完全に抑圧されているのだろうか。実は,被疑者国選弁護は全ての罪について請求できるわけではなく,今年大幅に範囲が拡大されたとはいえ,「死刑又は無期若しくは長期3年を超える懲役若しくは禁錮に当たる事件」(刑事訴訟法第37条の2)に限定されているのだ。従って,例えば死体遺棄罪(刑法190条)は「3年以下の懲役」だから被疑者国選の対象とならないのである(これを補うために,当番弁護と被疑者援助制度という弁護士会手弁当の制度がまだ維持されているのだ)。殺人の容疑濃厚であれば,早々に殺人容疑で再逮捕・勾留して,堂々と殺人についての調べをすれば良いではないかと思われるのであるが,我が国では結構最初の罪で勾留延長され,20日間をたっぷり使ってから,いよいよ本罪で逮捕勾留するケースが目立つのである。
読者の皆さんが今後「ほのめかす」という「マスコミ表現」に遭遇した場合は,縷々述べたような裏側を踏まえて,その意味するところをかぎ取っていただきたいと切に願う次第である。
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