● 民事裁判が好きになったワケ
京都簡易裁判所判事 小林克美(元福井地方裁判所判事) 
 私は,大学では光藤景皎(みつどう・かげあき)先生の刑訴法ゼミでしたしたし,修習生時代には検察官になって巨悪を検挙したいと考えたこともありましたから,刑事裁判の方が民事裁判より好きでした。新任判事補になって初任地に同期生2人が着任したとき,所長から,民刑に各1個の左陪席ポストが空いているから二人で選べと言われ(のどかな時代でした。),相棒とジャンケンをした結果,相棒が刑事,私が民事となり,初任の3年間の途中で交替しようと約束しあったのでした。ところが,お互いに大きな事件を担当することになったため,途中で交替が出来なくなり,相棒は初任の3年間刑事ばかり,私は初任の4年間民事ばかりとなりました。

 初任の4年間に民事裁判を経験したことがきっかけで,35年の地家裁裁判官生活のうち28年間は民事と家事(家庭裁判所の民事系)を中心に担当しました。そこで,民事裁判にやり甲斐を感じた最初の事件を紹介しましょう。判事補2年目に担当した国家賠償請求の合議事件です。

 これは,刑事裁判を民事で行ったような事件でした。朝の登校時に,女子中学生Aが乱暴され,川に投げ捨てられて溺死させられるという痛ましい事件が起こりました。事件発生から2か月以上たってから,警察は,犯行現場近くに住む20歳代後半の知的障害者の男Bが犯行を自白したので,犯人と認めて送検した旨を新聞発表し,検察官はBを鑑定留置して精神鑑定をしたうえ,Bが犯人であるが,心神喪失により刑事責任を問えないとして不起訴処分としました。

 Bは知能年令が3歳半程度の知的障害者であったため,Bとその父母が県を被告として,Bは犯人ではないのに,県の警察官の過失により犯人であると公表され,名誉を害されたとして,国家賠償法に基づいて損害賠償(慰謝料)を請求したのでした。

 不起訴事件の捜査記録が全部証拠として提出され 〈その後の検察庁の対応の変化で,不起訴記録の民事訴訟への提出は制限されるようになりました。),関係者の証人尋問及びBの本人尋問をした結果,初動捜査で警察が目撃者から得ていた犯人像(長髪,細身の長身)とB(坊主頭,ずんぐり型)は全く似ていないのです。そして,Bの発言は,主語を特定して話さないため,(自分が)A女を川へ落としたと述べているのか,(誰かが)A女の子を川へ落とした(Bは野次馬に混じってA女が川から引き揚げられる様子を目撃していた。)と述べているのかが分からないし,Bの自白には秘密の暴露が全くないことが判明しました。そのほかBにとって不利な証拠と有利な証拠とを子細に検討しても,Bが犯人であるとは認められませんでした。そして,Bを犯人とした警察の判断には過失があると認められたので,警察がBを犯人として公表した行為は名誉毀損に当たるとして,Bらの慰謝料請求を一部認容しました。

 県は一審判決を不服として控訴し,控訴審は Bが犯人であるかどうかは判断せず,警察がBを犯人であると判断したことに過失は認められないとして,一審判決を取り消して,Bらの請求を棄却しました。

 自分としては,控訴審の判決には大いに不満でしたが,後日,別の事件の和解で,Bらの代理人弁護士と話す機会があったのでお聴きしたところ,Bの両親は,Bが犯人ではないとした一審判決の判断は,高裁も否定しておらず,Bが無実と認められたということで喜んでいるということでした。高裁の方が読みが深いのかなあと感心しましたが,一審としての判決は間違っていなかったと今も確信しています。

 その後,刑事裁判を担当することもありましたが,無罪を主張する事件が少ないので,否認する事件が多い民事事件にやり甲斐を感じるようになったのですが,Bの事件が最初のきっかけだったのです。

(本稿は,日本裁判官ネットワーク通信NO1「ちょっといい話」から転載しました。)
(平成21年4月)