● 転官しました!
京都簡裁 小林克美(元福井地裁)
 福井地裁民事部で4年間勤務しましたが,今年1月に還暦を迎えたのを機に,3月31日付けで判事を依願退官し,4月2日付けで簡裁判事に任命され,京都簡易裁判所で民事の訴訟事件を担当するようになり,4か月が経ちましたので,その経緯と近況を報告します。
 判事の定年65才まで4年9か月の任期を残して依願退官した理由は,次の4点です。
  1.  次の転勤先が自宅(大津市)から通勤できる場所ではないことが読めており,6年余りになる単身生活を更に続けると,帰る場所がなくなりそう(あるいは,帰りたくないという心境になりそう)に思えたこと。

  2.  我が家系は男の寿命が短いこと(父60,祖父58,曾祖父45)を考えると,60歳を過ぎて過酷な高裁の陪席などの仕事に追われていると,官舎で独り淋しく死ぬことになりかねないこと(そのような例を幾つか聞いている)。

  3.  この7年間は高裁の陪席と地裁の裁判長として仕事に追われるばかりで,裁判官ネットワークの活動が何もできなかったので,元気が残っているうちに裁判官ネットワークのために頑張りたいと考えたこと。

  4.  持論として,高裁や地裁の合議事件などの激務は,40ないし50才代の元気な裁判官が担当すべきであり,60才代は経験を生かして地裁の単独事件か簡裁事件をやるべきだと考えていたこと,以上です。
 実際に,京都簡易裁判所へ赴任してみると,民事の訴訟事件だけを週に2ないし3日開廷し,月に160件ないし200件,1年間に2000件ないし2400件という膨大な数の事件を終わらさなければならいないのですが,土日祭日まで自宅で仕事をすることはなく,平日も1ないし2時間の残業をすれば足り,自宅で何時間も判決起案に追われることはまれなので,高裁・地裁時代に比べると大いに時間的余裕が出てきました。また,団塊1年生(S22.4〜S23.3生)に属していますので,「定年退職したぞ」という同級生からの挨拶状が,この1年間に沢山舞い込みましたから,自分も同級生達と同じように定年退職した気分になり,人並みだと満足しました。

 ところが,4月は新しい仕事に慣れるために頑張らねばと気負っていたからよかったのですが,5月,6月と仕事に慣れてくると,虚脱状態に陥り,妻から「ため息ばかりついているよ」と言われる始末でした。簡裁の仕事は決して楽な仕事ではないのですが,これまで高裁や地裁で悪戦苦闘し,事件に追いまくられていたときと比べると,気合いが入らないというか,力が抜けてしまうという状態なのです。帰宅して夕食を済ませると,引っ越し荷物の整理をする日が続いたのですが,地裁時代の期日簿,事件簿,手控え,判決綴りなどを懐かしく繰ってばかりいて,片付けは全く進まず,まるで死んだ子の年を数えているような日々でした。「これではいかん」とネジを巻き直しているのが今日この頃です。

 簡裁の民事訴訟は,原則として訴訟の目的の価額が140万円を越えない少額の事件で,貸金,立替金,電話料,不当利得(サラ金への過払い分の返還請求),地代家賃,敷金返還,売買・請負等の代金,交通事故の車両損害・喧嘩・名誉毀損等の損害賠償などです。その中で,貸金業者,クレジット業者,電話会社などが大量に起こしてくる定型的事件が,いわゆる「業者事件」といわれ,全体の3分の2を占めています。この業者事件は被告が争うことが少なく,ほとんどが欠席判決や和解・取下げで終わります。被告が争う事件でも,地裁事件のように,争点を理解できるまでに何期日もかけるような難解な事件はないのですが,証拠書類や証人などの的確な証拠がなくて,本人尋問しかないという事件が多く,判断はなかなか難しいものでして,裁判官の全人格的な突っ込みが事件の解明に欠かせません。少額事件なのに深刻に争う事件というものは,もともとがソロバン勘定(損得計算)で解決できる筋のものではなく,自分の正当性又は相手の不当性を裁判で明らかにしたいという思いの強い事件なのです。そのような事件を和解で解決できれば最高ですし,判決になったとしても,敗訴した側がやむを得ない思って貰えるような審理をすることが目標です。簡易裁判所は,最も市民に近い裁判所ですが,元々が小さい事件を扱いますので,一件にかけられる時間と費用に限りがあります。そこが悩みの種であると同時に,やり甲斐でもあるように感じています。
(平成20年8月)