● O氏との再会
大阪高裁  森 野 俊 彦 
 O氏は,私が学んだO大学法学部の一年後輩である。私は,1年生のころから「何でもみてやろう」の精神から,法律相談部に入って,毎週金曜日の夕方,当時天六にあった北市民館に出かけては,市民からの「法律相談」を受けていた。もちろん,当初は勉強を始めたばっかりで,先輩部員や弁護士の横にすわってその回答内容を聞いては,教科書の関係部分を読んで知識を吸収する方が多かったが,自分なりの勉強が進むにつれ,それなりの回答ができるようになり,2年生にもなると,(今から思うと冷や汗ものだが)一人でも担当できるようになっていた。そのころ入部してきたのが,Oさんである。

 そして,一週間に一度,毎回ではなかったにせよ,顔をだしたOさんと、時には同席して,市民の相談にのっていた。せいぜい,一週間に一度の出会いのうえ,学年が違っていたこともあり,残念ながら「親友」に発展するまでにはいかなかった。しかしながら,現に弁護士に委任にして訴訟係属中の人が,一介の学生に相談するのに直面して,弁護士というのはそれだけ敷居が高いのかな,それにしてもなにかおかしいね,と話し合ったことなど,昨日のように覚えている。

  その後,私は司法試験の受験勉強を経て司法修習生になり,裁判官になった。一方,O氏は,大学院に進み,行政法を勉強して,母校とは違うO大学の先生となった。その前後ころ,O氏から,論文抜き刷りを送ってもらったことがあったが,お礼の返事も出さないまま,私は転勤生活を続けた。以後,時々,雑誌等でO氏の論文をみかけたものの,行政法は不得意分野のため,ちらっと眺めるだけであり,いつしか,O氏のことを思うこともほとんどなくなった。O氏(往事)茫々。

 ところが,昨年12月,O市で裁判官ネットワークの例会が開かれた際,これに参加してくれたO氏とお目にかかることができた。実に,35年を越えての再会であり,さすがに年は偽れないが,その風貌に昔の青年の面影が残っていた。2年前からO大学の副学長の要職にあることは,当地のMさんから聞いていたが,私を喜ばせたのは,少し前まで,裁判ウォッチングの会の世話役をしていたということだ。私が,裁判官ネットワークに加入した動機は,市民とともに裁判所を開かれたものにしよう,というものだが,そうしたつながりで,途は違いつつも同じ志を持っていた旧友と再会できたのは,不思議な縁だと思った。ひょっとしたら,私が,微力にせよ,ネットワークを含め,裁判所を少しでも明るく開かれたものにしようと活動してきたことに対して,神様がご褒美をくださったのではないか,一瞬,そういう思いが胸に去来した。

 ネットワークが、メンバーの退官や高齢化に伴い、創立時の「威勢よさ」が薄れていることは否めない事実であろう。しかし、市民とともに裁判所を開かれたものにしようとする、その設立の趣旨は現在も意義を失っていないと確信する。その日O氏から受けた激励をバネにして、もうひと踏ん張りしようと決意しつつ、O市を後にした。
(平成20年2月)