● 任官直前の国選事件
工 藤  涼 二(千葉地方裁判所) 
 私は,平成14年4月に任官するまでの14年間の弁護士時代,継続的に国選事件を受任しており,常時3〜5件を抱えていた。スタンスとしては,薬物関係は余りやりたくない(ただし,後でDARCの存在を知ってからは厭わないようになった)が,重罪や否認事件も積極的に受任するようにしていた。間もなく任官を控えていた同年の早春にも,覚せい剤の自己使用と殺人,それに業務上過失致死傷の各国選事件と,女子中学生監禁致死罪の私選事件を受任していた。このうち覚せい剤事件は無事執行猶予で終了し,大阪DARCに行くよう手配した。女子中学生監禁致死事件は,手錠されたままの女子中学生が中国道で監禁されていたワンボックス車から飛び降り,後続車に轢かれて死亡したという事件で,現役の中学教師が逮捕,起訴されたことから随分マスコミにも報道されたのであるいは会員諸氏のご記憶に残っているかもしれないが,幸いこれも3月中に判決をもらうことができた(検察官から控訴されたが,控訴棄却で終了した。)。しかし,殺人事件(精神病院から一時退院していた被告人〔20代の女性〕が明日戻らなければならないという日に,将来を悲観して入水自殺を図ったが死にきれず,家に帰って自分で自分の首を電気コードで絞めて死のうとしたがこれも果たせず,人を殺せば死刑にしてもらえると考えて,夜になり隣で寝ている実の母親をバットで殴り殺したという凄惨な事件であった)については,被告人質問は終了したものの論告求刑や最終弁論まではできずに辞任することになった。いずれも任官前の事件として思い出深いものがあるが,最後の業過致死事件が強く印象に残っているので,今回はこの事件についてお話ししてみたい。

 この事件は,その約1年半前に受任したもので,初夏のある日,集団下校していた小学生の列に50代半ばの被告人が運転する乗用車がノーブレーキで突っ込み,1人を死亡させ,1人に重傷,もう1人に軽傷を負わせたという事件であったが,この3人が兄弟姉妹であったことが事件をより悲劇的なものとしていた。被告人車はそのまま道路側壁に激突して転覆し,被告人も頭部打撲,腰骨骨折の重傷を負って3週間ほど入院したというものであった。

 私は公訴事実の次の一文に疑問をもった。すなわち,「被告人は,前方注視義務を怠って,自車を左方向に進行させ…」との点である。なぜ前方注視義務を怠ったら左前方に行くのかよく分からないので注意義務の内容につき釈明を求めようと考えていたところ,裁判官が先に検察官に質問したのであるが,納得のいく説明は得られなかった。このような場合,まず考えられるのは居眠り運転であるが,それについて被告人の供述は「眠気は全く感じなかった」と感心するほど一貫してした。私は,何度か被告人に面接して話を聞いたが,やはり「体が深い谷に落ちていくような感じで意識が遠くなった」というのみで眠気はなかったとの説明であった。

 そこで,被害者の両親に対して慰謝の措置を講じるのと併せて公訴事実の認否をどうするかを検討した。事故の結果は重大ではあるが,初犯であり,任意保険にも入っていて通常の損害は賠償されることから,素直に罪を認めて情状に訴えれば執行猶予の可能性は十分あると思われたのであるが,高度の脳貧血の疑いがあることを理由として心神喪失による無罪を主張することとした。そして被告人に人間ドックに行くことを指示し,その報告を待った。約1週間後に連絡があったが,血圧が少し低いくらいで特に異常はないとのことであった。何か出てくるのではないかと期待していた私はいささか落胆したが,ふと思いついて被告人に脳波検査を受けるように指示した。すると思いがけなく相当程度の棘派が見られ,担当医師の診断では中程度のてんかん症であり,車を運転中に発作が起きれば意識を失って操縦不能になる可能性が高いとのことであった。私は,被告人にこれまでの病歴や自覚症状の有無を尋ねたが,そのような検査を受けたこともなく,10年以上前に友人の家に遊びに行ったとき帰り際に気分が悪くなり階段から転げ落ちてけがをしたことがある位だとのことであった。

 私は,次回公判においてそのことを説明して鑑定を申し立てたが,裁判官は検察官の意見を求めた(無論同意するはずはない)上ですぐに却下し,まずその医師を証人申請するように指示した。そこで私は担当医師に出廷してくれるようお願いしたが,気が進まなかったのか,少々遠方ということを理由として拒絶されてしまった。どうしようかと困っていろんな人に相談し,何とか法廷に出ることにも積極的な精神科の医師を見つけることができたので早速受診させたところ,やはり同様に棘派が計測された。私は,喜んでその診断結果を書証として取調べ請求するとともに同医師を証人申請し,公判廷で診断結果につき証言してもらった。その内容は,必ずしも全面的に当方に有利というものではなかったが,かえって同証人の客観性を裏付け,その証言の信用性を増すものであったから,私の印象では,被告人が意識を失うほどのてんかん患者であること,事故の発生状況からみて本件事故は発作が起きたことによる可能性が極めて高いこと,の心証を裁判官が得るには十分なものであった。そうすると,検察官が訴因を変更しない以上,被告人の責任能力に対する合理的な疑いがあることはもはや明確であるから,私には無罪判決が確実であるように思われた。すぐに結審して最終弁論に移ってもらえば任官前に判決がもらえる可能性もあったが,検察官は次回公判で当時の被告人の精神状況についての鑑定申立てをしてきた。私は,冒頭に行った私の同様の申立ては却下されたし,それに代わるものとしててんかん患者であることを立証したのであるから,当然この鑑定申立ては却下されるものと考えていたところ,裁判官は直ちに採用してしまった。私は少々憤慨して抗議したが,当然受け入れられなかった。鑑定結果を得るには時間がかかる。私には本件を最後まで見届ける時間的余裕はないことは明らかであったから,辞任する旨裁判所に申し出たところ,通常であればそうたやすくは認められないはずが,既に任官するとの情報が入っていたと見えてすぐに受理された。

 私は,事案が事案であるので,後任者を全く弁護士会に委ねるのも不安であった。そこで最終弁論も一応起案した上で甲山事件弁護団の中心メンバーであったベテラン弁護士にお願いして引受けていただいた。任官後間もなく結論が出るかと思っていたら,年が越しても何の連絡もない。「かえって争わなかった方がよかったのでは」と気をもんでいたところ,さらに数ヶ月たったある日の午後,勤務していた広島高裁に前述の先生から電話が入った。「例の事件の判決がさっきあったんやけど…」といわれる。次のことばを固唾を飲んで待っていると,「無罪やった」と耳に入ってきた。

 私は,これまで刑事事件において必ずしも無罪至上主義の弁護をしてきたわけではないが,最後の国選事件をこのような形で終えることができたのは幸せだったと思っている。

 なお,後日,判決書の写しを送ってもらい読んでみると,私の任官後の異動で担当裁判官が変っていたことが分かったが,鑑定結果(同じように脳波の異常が確認されていた)が出た後に検察官が問題とした新争点にも入念に答えていて,その余りの立派さに驚嘆した。とても私には書けないものであると感心すると同時に,無罪判決を出してもらうのがどんなに大変なことか改めて感じさせられた事件であった。

 裁判員制度が実施される日も近づいている。いわゆる裁判員法によれば,本件のような業過致死事件は対象とはなっていないようであるが,仮に裁判員の目からこの事件を見たらどういう進行になっていたか,興味のあるところである。
(平成18年8月)